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一次創作ってこんな気持ち

先日の芦原先生の告発や訃報から、
多くの人が「作品を作るということ」について考えを巡らし、その思いを発している中、私も一次創作をしたことがあるアマチュア界の隅の隅に存在した作家?として、一次創作について考えてみたいと思います!

「セクシー田中さん」については下記の記事に書いていますので、よかったらご覧ください。
(これを書いたのは、先生の訃報を知る前となります)


私と一次創作

一次創作をしたことがあると言っても、書き切ったことがあるのは本当にちょっと、長いのなんて1作だけなので、それについては期待せずにお願いします。

ちなみに、その作品たちはこちら

たったこれだけしか書いたことのない小物作家(作家と呼べるかも不明)です。
そんな私が、作家はどんな気持ちなのかを言語化してみようと試みたnoteになります。

では本題。

作品世界と作者

読者、受け手として作品に触れる時も、このキャラクターってこの世のどこかにいそうと思うことってありませんか?
その作品がリアルな世界観で、自分が結構深くハマっていたら余計に。
乙女ゲームとかそういうリアルタイムで向こうも動いているものなら、さらに感じるかもしれない。
ほらよく二次元キャラがCGライブをすると、「そこにいた」「存在した」って感想が出るじゃないですか。
次元を隔てているから、画面がないと会えなかった推しについに会えた!的な。

作者の方もそういう感覚ってあるんですよ。
作品の世界はどこか別の世界に存在していて、
イメージとしてはパラレルワールドとか、鏡や夢の中の世界みたいな、そういう感覚なんです。
なんというか、「在る」んです。

だから風景の描写がすっごく細かくてリアルな作家さんっているじゃないですか。
あれってその別世界を目の前で見て描いてたり、文章に起こしてるからなんですよ。
頭の中で描いているんだけど、それは空想じゃなくて、実在している世界に一時的に自分が行って、実際に見てるからできることなんです。

「キャラクターは我が子」

この言葉もよく聞くフレーズだと思います。
今回の件でも、本当に多くの作家さんのコメントで目にしました。

この「我が子」っていうのは、
・自分が生み出した
・自分とは別の人格の人間

という2つの意味を端的に表してるフレーズだと思っていて、
一次創作をしたことがない人にはこの二つ目の「別の人格の人間」の部分がなかなか見えないのかなと思うんですよ。

よく「キャラが勝手に動く」ってあるじゃないですか。
自分で考えた存在のはずなのに、なぜか勝手に話したり動いたりして、作家の都合に合わせて動いてくれないとか。で、しょうがないから作者はそれを自動書記みたいに文なり絵なりにすることしかできない、っていう。

それってなぜ起こるかっていうと、「別人格」だからなんですよ。
作家とキャラクターって別の人間なんです。
「親は子供が別の人間だと理解しなくちゃいけない」って、よく毒親問題なんかで聞くと思うんですけど、作家とキャラクターってまさに親子の関係なので、全く別の人間で、だからこそ言うこと聞かないんですよ。
勝手に考えて、勝手に行動するんです。
だから、親(作家)の都合に合わせて生きてはくれないんですよね。

「原作レ⚪︎プ」とは何なのか

この言葉あんまりいい言葉ではないと思うんですけど、
じゃあ「原作レ⚪︎プ」ってどういう感覚なのかを、一次創作をしたことない人にももっと身近に感じられるように、私なりに噛み砕いてみようと思います。

あなたにはA子という妹がいます。
3つ年下で、小さい頃からおとなしくて、友達も多くはない。
いつも家で絵を描いたり、本を読んだり、花を育てているような妹です。
彼女は怖がりで、痛いのが大嫌い。注射が嫌いだから、病院に行きたくないのと泣いているような、そういう妹です。

そんなA子に彼氏ができたと言います。
「そうなんだ! おめでとう!」なんて呑気に祝っていたら、ある日妹の耳にはピアスがずらり。一つじゃなくて、二つも三つもです。
髪も金髪に染め、露出の高い服を着始めました。
でも、お母さんは「最近A子の元気がないの……」と心配そう。
妹の表情もどことなく暗く見ます。

おかしい、と思った私は、週末に出かけた妹のあとをついていくことにしました。
駅前で彼氏を待つ妹。しかし彼氏は一向にやってきません。
30分以上待たされた挙句、やってきたのはピアスばちばち、高そうな服は着ているものの品はよく見えません。妹とは全然ジャンルの違う男。歳も自分よりはるかに上に見えます。
私は、これがあの妹の彼氏!? と目を疑います。

妹を連れて帰りたい気持ちをぐっと抑えて見守っていると、その男は妹の腕を掴んで何か怒鳴りつけています。
「お前が会いたいって言うから来てやったんだ! 文句言ってんじゃねぇよ。俺と付き合えるだけでもありがたく思え!」とか
「なんだよその服。俺の好みに合わせろっていつも言ってんだろ!?」とか
「お前みたいなブスは、俺の言う通りにしてればいいんだよ!」とか……
可愛い可愛い妹を傷つけるものばかりです。

許せなくなった私は、2人の間に割って入り
「あんたどういうつもり!? 私はこの子の姉よ!」と叫びました。
「このピアスも、あんたがやったの!?」
すると、その男はこう言いました。
「こいつは俺に惚れているから、喜んでやってるんだ」、「あれもこれもA子のために言ってやってるんだ」と。

(今わたしが考えた例え話)

こんな感じです。
ふざけんじゃねぇよ!!! と思いませんでしたか?
自分の作品を“勝手に”変えられた作者の気持ちというのは、こういう気持ちだと思います。(想像だけど)

金のある男です。男の言う通りにしていれば、A子は玉の輿に乗るのかもしれませんが、A子の心は壊されているわけです。
注射も怖がる妹が、喜んでピアスを開けるだと? そんなはずありません。
もちろん男の中ではA子はそういう女に写っているのかもしれません。
それでも、姉としては許せませんよね?
妹は今、自分らしく生きているとは思えません。

ここで言うA子は、作品やその中で暮らしているキャラクターです。
実写化などのメディア展開で改悪しようとしている製作陣が、この彼氏。
優しくて誠実な、A子を大切に想ってくれる彼氏なら、姉は祝福するし、大切な妹をお任せできる。
でも、あんなこと言う男に妹を託せますか?
あんな扱いを受けて、許せるわけがありません。

「原作レ⚪︎プ」、「原作クラッシュ」とはそういうことなのです。

実写化はあくまでに二次創作

先の記事でも言及した気がしますが、実写化やアニメ化はあくまで【二次創作】に過ぎません。
テレビ局は、原作をもとに二次創作をする。それが一般のファンの二次創作と違って、許諾を得ているというだけの違いです。

二次創作においてよく話題に上がるのが「解釈」です。
原作の中のキャラクターや世界観に基づいて正しく描かれていなければ「解釈の不一致」と言われます。

実写化やアニメ化で、オリジナル展開や多少の脚色があること自体は、私は否定しません。
短い話数や時間で描き切るために、必要になる変更があるのは理解できます。
しかし、これはあくまで「原作の解釈と一致」している場合に限られると思います。
上記の例え話でいうと、彼氏がA子のために彼女にあった洋服や好きな花をプレゼントしたり、2人で楽しく行ったことない地に遊びに行くのは、いいじゃないですか。
A子の人生がさらに豊かになり、彼女らしく生きる助けになるので。

でも、そうでないなら話は別ですよね。
作品の世界観やキャラクターを、二次創作する側の都合に合わせて捻じ曲げるような行為は、やはり否定されるべきだと思います。
例えば実写化の約ネバなんかは、“孤児院”が舞台の“天才的な子供たち”の話なのに、11歳を15歳にすることで物語の根幹が崩されてしまっています。小5だったら普通思いつかないことも、中3なら思いついて当たり前。そういう違和感は作品の出来に直結します。

もちろん制作側にも事情はあると思うんです。
例えば約ネバなら、集客できる子役がそんな何人もいないとか、これはあくまで浜辺美波主演映画が前提なんだからとか。
でもそれは所詮、浜辺美波主演映画に見合うオリジナル作品を作れないってだけだと思うんですよ。
原作の力を借りるなら、原作を再現するために尽力すべきだと思います。
だって借りてるんだもん。

気高い二次創作であれ!

二次創作だろうが、やっぱり胸を張って作品作りをしていたら、
その姿ってかっこいいし、出来上がったものも人を惹きつける力を持つと思うんです。
俺のために、私のために、原作者やそのファンを傷つけて作ったそれは、
制作の中で力を尽くしてくれた人たちを傷つけたり、その二次創作を愛してくれたファンに失礼だと思うんです。

原作者に感謝され、原作ファンに愛される実写化やアニメ化こそ、やって意味のあるものだと思います。
ぶっちゃけ利益も上がると思うし。
今後はそういう思考で作品づくりする人が増えたらいいなと思います。

まとめ

なんだかものすごく話が展開してしまいましたが、
一次創作をしたことがある人の思考を書いてみました。
いかがだったでしょうか?
うーーー……表現しきれているのか!?
語彙力が未熟なのが悔やまれますが……

それでも私は、今でも凛や悠真、栄(「空の孤島」の登場人物)がいつかどこかの未来で誕生すると信じていますし、
天空島(同作の舞台)は相模湾につくられる日が来ると思っています。
(首都圏に地震が来ないと物語が始まらないけど、それだけは来なくていい)

もちろんこの世にそう信じているのは、私ひとりです。
でも、きっとどんな大きな作品の先生でも、同じように感じているんじゃないかなと思います。

そんな思いが、創作活動をしない人にも伝わっていたらうれしいです。


おわり!

(よかったら私の唯一の長編?小説も読んでね 笑)


サポートしようかと心の隅の方でふと思ってくれたあなた!ありがとうございます!毎日夜のカフェでポリポリ執筆してるので、応援してくれたらうれしいな!なんて思ったりしてるよ!