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忘れられたときに死ぬ人の話

言葉というのは祝福で、同時に呪いです。

少なくとも、紆余曲折というか一本道を右折したというかで専業無職作家になってしまった私は、私は言葉に力があると信じて毎日文章を書いて生きています。

ただ、そんな私がすごくプレッシャーに感じてしまう言葉というのがあります。耳にするとたじろいでしまう言葉なのです。

「人は肉体が死んだときに死ぬんじゃない、誰かに忘れられたときに本当に死んでしまうんだ」

色々な場所で繰り返し発信されていて、けっこう「いい話」とか「名言」とか言われる文言なのですが、私はこの言葉が怖くて仕方がないです。たぶん、こういった言葉を使うのは、とても意地悪く言えば「自分があの人を覚えている最後の1人」なんていう状況になることを想定していないタイプの人物なんだと思います。とても、若い言葉。少し想像してみて欲しいのですが、もしも自分が、その人を覚えておける=生かしておける最後の1人なのだとしたら――そう思うと怖い。とても怖い言葉だと思うのです。

というのも、私には「私が忘れたら死んでしまう人」がいるのです。
私は、このまま順当にいけば「その人を生かしている最後の1人」になってしまうのです。

人間、ラスイチを引くのは怖いものですから。
ほら、宴会で最後の1ピースになったピザはなかなか手を伸ばしたくないものでしょう。

その人が亡くなったのは私が3才のときのことで、亡くなったのは私の実弟でした。

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