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【創作余談】『作家は経験したモノしか書けない』というまことしやかなアレへのソレ~経験はズラして書け!~

タイトルみたいな言説を一度は聞いたことがあると思う。『作家は経験したモノしか書けない』あるいは『どんな経験も芸の肥やしだからどんどん悪いことも経験しろ』みたいなアレである。

個人的には「なにを言っているんだか~~」という鼻ほじものの言説ではある。我々は異世界転生をしたことがないことはもちろん、温厚なハードボイルド作家もいれば童貞のエロ小説家もいる。経験したモノしか書けない、というのはちゃんちゃらおかしい話である。

では、どうして『作家は経験したモノしか書けない』という言説が、創作活動をしない人はもとより、プロフィールに「作家志望」「物書き」と書いている方にもそれなりに浸透してしまうのか。

創作論に正解はないし、人間が10人いれば30通りくらいはアプローチがあるのが創作というものだと思っている。ただ、ひとつの仮説として私が思っているのは、この言説に魅力を感じてしまい、しばしば私生活を犠牲にしてしまいがちなパーソンズは『経験をスライドできない』という共通項を持っているのではないかということだ。

経験をスライドする。

たとえば、『冒険者パーティから追放された』『実家が自治体ごと焼き討ちにあって天涯孤独になった』『謎の組織に誘拐された』『非合法の薬物でトリップした経験がある』といった人は少ないと思う。創作にはよく出てくるシチュエーションであるにもかかわらずだ。

この経験の不在を埋めてくれるのが「スライド」である。

たとえば、怒った親に大雨の降る深夜に家の外に締め出されたときの心許なさや絶望感や、バイト先を干されたときのやるせなさと焦り、親族と死に別れたときの喪失感、就職活動で知らない企業の説明会に行ったときの所在なさ、はじめてお酒を飲んだときのフワフワした感じ……そういった経験ならば多かれ少なかれ、誰しもが持っているものだろう。

創作というのは、日常の中で拾い集めた感情や経験を空想の世界のキャラクターの心情に「スライド」する活動に他ならない。人間は異世界転生も星間航行もしたことないけれど、ファンタジーやSFを書くのだ。

体感は、経験値がものをいう。

銃を撃ったときの反動を私はしらない。弓を射ったときの手ごたえを、私は知らない。こういったものについては、できることなら「体感」しておいた方が描写に説得力が増すのだろうとは思う。たとえば、銃器が大好きな作家の書いた作品はやっぱり「わかる」ものだから(『ガンゲイル・オンライン』を読みつつ)。身体の感覚という意味では、けがや病気の痛みについては(経験しない方がいいに決まっているけれど)、実体験から来る描写に説得力が出るかもしれない。ただ、読者側にその実体験がなければ、その痛みや苦しみの描写が正確かもわからないのである。。。

あとは「リアリティ」を売りにするもの――例えばお仕事小説、ご当地小説と呼ばれるジャンルについては経験値がものをいうかもしれない。ただ、そのリアリティを武器にするとしたら数年レベル、あるいは人生レベルでその仕事や土地に関わっている必要があるのではと思う。コスパという意味では最悪だ。芸の肥やしとは……?となる。

小説の質は感情の「スライド」で決まる。

では、小説の醍醐味とはなんだろうか。

正確な写実描写? それとも、豊富な知識の披露? ……もちろん、それらは小説を鮮やかに彩り、面白くする。けれど、小説を読むときに私たちは自分の脳で文章を再構築して楽しむのではないかと思う。小説は写実的な描写でいえば映画やドラマのような映像作品には勝てないし、ビジュアルに訴えかける世界観の描写でいえばイラストや漫画に勝てない(圧勝できるところといえば、ローコストなところだろう。「巨大な戦艦」と書きさえすれば、小説の中には巨大な戦艦があらわれる。作画コストもCG技術も必要ない)

思うに――といっても、師匠からの受け売りも半分あるのだけれど――小説が他のメディアよりも優れているところがあるとすれば「気持ち」の描写なのだ。

登場人物の色とりどりの気持ちを、感情を、追体験する。

それが小説というエンターテインメントの本質なのだと思う。そうなると、冒頭に書いた自分の日常の経験から得た感情を作品内に「スライド」させるというのは、小説を書くうえでの必須技術なのだ。

そういうわけで『作家は経験したモノしか書けない』あるいは『どんな経験も芸の肥やしだからどんどん悪いことも経験しろ』という話は、ある意味正しくて、どこまでも的外れだ。

とりわけ、モラルに反することをする言い訳に『経験は芸の肥やし』なんて言い始めるのは、ちょっとどうなのかしら。例えば、不倫をしないと不倫の背徳感が書けないなんて嘘っぱちだ。背徳感を得たければ、深夜3時にカップ麺とビールで優勝すればいい。ポテチをつけてもいい。その背徳感を、作中の不倫で描けばいい。

私たちは日々、楽しみ怒り悲しんで、ふてくされ歓喜し悔しがり、安心と不安の間をジェットコースターみたいに行き来して生きている。それこそが小説を書くうえでの一番の「経験」のはずなのだけれど。

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