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「既にある」と「私はいない」の関係

こういった潜在意識や、非二元のお話に共鳴される方の中には、「既にあるがわかった!」という方のお話を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
既にあるという感覚もこれまたややこしくて、ずっとその感覚が続くわけではないようです。少なくとも私は体感してもまた翌日にはわからなくなっていたり、最高でも一週間、それ以上は感覚が遠のいていき持続できません。
持続しないあの感じ。
それは「私はいない」と同じです。
どれだけ自我システムが巧妙に出来ているかを実感させられますね。

私たちの「行動」はどうやって起きているのでしょうか。
脳で考え、意図したことを行動に起こしている。そうなのですが・・

実は自分が考えているわけではないのです。
そして空間に情報が全てあり、それを受信した脳が指令を送り体が動いて行動をしている。これが真相なんですね。
そしてそこにあるのは「私がやっている感」「私がいる感」
確かにその感覚は存在しているわけです。だから勘違いをしてしまう。
そこに私がいるかのように。
言わばこれは「私はいない」「私という現象」なわけです。こわいですね〜

ではここからどう「既にある」につながるかというと・・
先程も申しましたように、高い次元には情報が全てある空間があります。
高い次元もこの世界の次元と全く同じ場所に存在しているわけですから、それを体感しちゃった!見えちゃった!っていう人が現れてもおかしいことではないわけです。(そしてそれも「見えちゃった私」は存在していないわけで、そこにあるのは「見えちゃった私感」なわけです)だんだん伝わってきたでしょうか?
それが所謂「潜在意識の達人さん」と呼ばれる方々です。
彼らに見えたものを言語化すると、行き着くのは「既にある」なわけです。
既にあるんだから何もする必要ないよ。と言っているわけです。

でも「私がいる感」バリバリの人間には「どうすればわかるの?」と方法論を求めたくなるわけです。「私がいない」んだから何にもすることはないわけです。パラドックスな感じがたまらんですね。そして私がいると思っている大多数の皆さんには受け入れられない話だというわけです。

しかしこれが人類を本当の幸せに導くわけですから、必死になるわけですね。それもまた現象なわけなので、私もこれを書きながら「あ〜すごい自我きてんな〜」と感じているわけです。私たちが求めている本当の幸せは「私がいないこと」だったんですね〜なんということでしょう。



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