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僕が僕であるために。


実家を出てから月に一、二度荷物を取りに行く。
引っ越しの時本が多すぎて用意した段ボールに収まらずに車も持っていない為休みの時に片道一時間ほどかけてバスと電車を乗り継いで向かう。

最寄りの駅に着けば駅前のコンビニまで母が迎えに来てくれる。
車に乗ってからは近況や様々な出来事を話す。
母と話すのは楽しい。楽しいし聴いてくれるのが嬉しくて話し出すと止まらなくなってしまう。

小さな頃から母が大好きだった。
優しくて甘やかしてくれる。友達にも優しくしてくれる。
私が子どもの時は専業主婦だったから学校から帰るといつも家にいてくれたのも嬉しかった。


子どもの頃、父と母はよく喧嘩していて2人でヒステリーを起こしていた。
悪いことをしたから怒られることもあったけれど八つ当たりや理不尽な怒りも多くてよく怒鳴られ泣いた。今思えば親から見ると泣いているから効果あり。とみていたか単なる捌け口と見ていただろう。けど本当は、突然大声で怒鳴られてビックリして泣いていたんだと思う。怒られるような出来事なんてビックリした瞬間に爆ぜてしまう。


前にも書いたが、ある日父と母が喧嘩していて、きっと父が私の気に食わない事で母に当たったんだろう、突然襖がスパーーン!!と開き「〇〇(私の名前)なんて大嫌い!」と感情的になった母に言われた。
襖が勢いよく閉まった時、涙がボロっとこぼれた。悲しい。悲しい。嫌われた。自分に向けられた母の視線が怖かった。母に拒絶された。小学生だったけど人生終わったと思った。


昔読んだ桜庭一樹の小説「少女七竈と七人の可愛そうな大人」に

「いんらんな母」から生まれた事を悩む美しい少女七竈に東京の芸能事務所の人間が言う「女の人生ってのはね、母をゆるす、ゆるせないの長い旅なのさ。ある瞬間はゆるせる気がする。ある瞬間はゆるせない気がする。大人の女たちは、だいたい、そうさ。」という言葉がある。


あ、今は母を許せている、と思う瞬間がある。

笑って過ごせることもある。感謝もしている。

友達には言えないけれど母には話せることもある。

今日みたいに穏やかに過ごせている時はそれを実感する。

でも母に自尊心を抉られたことはゆるせない。

気分が落ちて鬱に傾いている時はフラッシュバックのように涙した自分に戻れる。謝罪はなかったしいまだに苦しくなる。

30過ぎてるのに親と上手く距離を掴めないのは自分は異常かと思っていたけど、そうでもないのかもしれない。時が解決してくれている部分もあるし、これからもゆるす、ゆるせないの連続だ。完全にどっちかだけに偏ることはないのかな。

そこに気づけただけでも、とりあえず今日は母をゆるそうと思った。








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