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マスク製作中


最近はnoteの投稿もお休みして日々マスクの製作をしています。まだあまり数は出来ていないのですが、家族や周りの人達に少しずつ配っていけたらなと仕事を終えて家事なども済ませた後にせっせと製作しています。



作ろうと決めたきっかけは母がくれました。

製作を依頼するでもなく、ただ「マスクないんよね。布とかあるけど作りきらん。」と。

私が作らなきゃ!なんてつい思ってしまうなんとも上手いお願いの仕方だと感じました。



私は数年前まで洋裁の仕事をしていて技術はあるし、ミシンなどの機械もある。にも関わらず東京を離れてミシンと向き合うのが少し億劫になっていました。

地元に帰ってから友人の依頼でカジュアルなワンピースドレスを作ったのですが、その後から気持ちが離れ、そのまま洋裁部屋にはあまり足がむかなくなっていたのです。

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なんでしょう、嫌いな訳ではないのに近づき難く、それが悔しく情けない、、、上手く言葉に表せない感覚です。

作家さんなら上手に表現出来るんだろあなぁ、、



そんなこんなで、得意なだけで好きじゃないのでは?とも考えました。でも、いざ始めると時間を忘れて夢中で縫い続けてしまう。やっぱりこれだという感覚。


好きを仕事に、なんて言葉をよく聞きますが

実際そう簡単に出来ることではありません。



好きを忘れないって事ですら大人になると難しく感じるんです。……大人になるとって部分は言い訳のようで言ってて自分が嫌にもなります。



知人者智、自知者明

私の好きな老子の言葉です。

人を知る者は智なり、自ら知る者は明なり。

私なりの解釈では、智は賢く物事を良く理解している人、他を知る人の事。それだけでもとても凄い事に感じるのですが、老子曰く、更にその上がある。

それが明の人。明とはつまり、自分の事を知り理解している人の事。


人は目に見える他人の事や周りの事は観察・理解する事が出来るし、気が付く事も多いです。

しかし、自分の事はあまり見えていません。他よりも近くにあるのに近すぎて見えない。見えないから自分の事は上手く観察・理解が出来ないのです。


私がよく周りの粗や欠点に気付くときには、この言葉を思い出し、自分に「お前はどうなんだ?」と問いかけるようにしています。

自分を棚に上げてしまってる場合が大抵です。



まだまだ自分がなんたるかもわからないし、確固とした信念もないような人間ですが、先人の知恵を借りながらいつか自分を理解出来る日が来るといいなと願っています。




お読み頂きありがとうございました。

皆様どうか、身体にお気を付けて。


まる。


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