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「イノベーション」というコンセプトを人文科学の観点から、アレクサンドラ・コビルスキへのインタビュー

アレクサンドラ・コビルスキさんはフランス国立科学研究センター(CNRS)所属の研究員であり、「中国・韓国・日本」研究所(CNRS/EHESS/Université de Paris)で日本研究センターの所長を務めています。これまでの経歴とともに、2018年にヨーロッパ研究評議会(ERC)スターティンググラント助成金を獲得した「J-InnovaTech ユリイカの向こうへ:日本の第一産業化(1800年-1885年)」プロジェクトを紹介します。

これまでのおおまかな経歴をお聞かせください

きっかけは高校時代にあります。私はいわゆる古典コースを履修し、ギリシャ語やラテン語を学びながら、外国語としてフランス語も習得しました。一見、日本とは何のつながりもないように見えますが、この徹底的な文献学の教育によって、言語の仕組みを細かく理解することの喜びだけでなく、意味を感じ捉えること(把握すること)、初めは不可解と思われたものを理解できるようになるマジックを発見できたのです。また、誤解や時代錯誤に注意する目を養うこともできました。このように、この古典コースで学んだことは私の研究キャリアにおける非常に重要な基礎となりました。

 ベオグラード大学に進学したとき、言語の細かなメカニズムに対するこの情熱を、別の分野で追求することにしました。印欧語とはまったく異なる言語を使って、同じことを実践してみたいと思ったのです。最終的に私が日本語を選択したのは、いわば偶然でした。

 修士課程を修了し、さらに研究を続けたいと思ったとき、私が情熱を注ぎたいと思っているのはベオグラード大学の日本学部での主要科目である言語学でも、文学でもないということに気がつきました。言葉の裏に隠された登場人物や出来事を見つけ出しながら、歴史物語に光を当てたいという情熱が、私を歴史の道へと向かわせたのです。残念ながら、私が興味を持っているものとベオグラードのみならず、概してヨーロッパの教育機関が提供する学術的選択肢の間には大きな隔たりがありました。希望通りの研究を続けるには、つまり、日本学部ではなく歴史学部で日本史を学ぶためには、教育内容が極めて充実していて、より柔軟性のあるアメリカだけが私の願望に応えてくれることが分かりました。しかしながらその選択は簡単なものではありませんでした。なぜなら私はフランス、啓蒙主義のヨーロッパ、ユーゴスラビアや東欧の経験という学識を持った「ヨーロッパ人」として形成されていたからです。結局、歴史への情熱がその疑念を打ち消し、私はニューヨークで博士号を取得したのです。

 博士課程を修了し、ハーバード大学で最初の職を得たとき、私はアメリカでの研究は自由で実り多いものであると実感しつつも、アメリカでのキャリアを追求することは難しいだろうと悟りました。最先端の公的研究を行うことはあまりなく、アメリカ人の一般的なメンタリティが自分の価値観と少し異なることに気づいたのです。確かにフランスの公的システムを批判する人は多く、行政の惰性や複雑なヒエラルキーが存在することは事実ですが、これだけの規模の優れた公的研究ができる国は他にはないように思います。

 そこでヨーロッパに戻ることを決断しました。そしてANR(フランス国立研究機関、日本の科学技術振興機構に相当)のポスドクに採用され、CNRSの採用試験に合格しましたが、私はフランスで博士論文を執筆したことはなく、フランス国内にネットワークも持っていなかったので、それは簡単なことではありませんでした。今思えば、奇跡のような出来事だったのです。

明治時代(1868~1912年)に銅鉱を開発するには、女性の技と専門知識が不可欠だった。愛媛県歴史文化博物館で保管されているこの巻物の抜粋された部分は女性の産業の発展への貢献をよく示している

J-InnovaTechのプロジェクトは、日本におけるイノベーション史がテーマになっていますね。なぜ、このテーマにこだわるのですか?
「イノベーション」は研究と経済において欠かせないキーワードであり、私の専門分野である技術史の基礎の一つでもあります。

 歴史学者の中には、今日の公的な議論におけるこの言葉の使われ方にとても批判的な人もいます。「イノベーション」をタイトルに加えた機関の数を見れば分かりますが、たとえば、フランス高等教育・研究省は2017年に高等教育・研究・イノベーション省(MESRI)となりました。私もこの言葉の使い方にはニュアンスが足りないと感じていますが、この概念を人文科学からアプローチしていくことは改善につながる一つの方法ではないかと思います。

 ヨーロッパでは、イノベーションという言葉の背後に、極めて明確で古くからの心象風景があります。それは、ある時突然「ユリイカ」のような啓示を受けた天才でおそらく孤独な人物、そして男性である、というような。しかし単純化されたこの図式は、実際のイノベーションのプロセス、特に日本におけるそれには当てはまりません。過去の文献の中にも日常の中でも、「私は世界を変える大発見をしたぞ!」と声を大にして言う日本人に遭遇することはとてもまれです。そのことについて、ヨーロッパの人たちは、発明者が信用も対価も求めない、要するに発明を公表することに社会的関心がないということを想像すらできません。それでもイノベーションは確かに存在するのです。

 J-InnovaTechプロジェクトのポイントは、人類が過去に示してきたアプローチの多様性を可視化するために、これまでとは違う方法でイノベーションの概念化を提案することです。集合的イノベーションや小さい改良を経て大きな革新にたどり着く段階的イノベーションを具体的にイメージし始めることがとても大事だと思います。

 日本の19世紀は危機の時代でした。そのルーツは、よく言われるような1853年の黒船来航ではなく、約7年間続いた天保の大飢饉(1830~1844年)にありました。日本では、飢饉自体は珍しいことではありませんでした。しかし、この一件は多くの犠牲者を出しただけでなく、この国の社会的、政治的構造を大きく揺るがしました。わずか150年前の日本の事例から、危機の時代やそれ以後に社会がどのようにイノベーションを起こすのかということについて、忘れ去られた洞察を得ることができるのです。異文化を含む過去の経験に目を向け、危機を脱する方法を想像するために、イノベーションについて今までとは異なる視点で考察することは、アイデアが枯渇し、創造性に欠けていることが明らかな今日において必要不可欠であると思われます。

2018年にヨーロッパ研究評議会(ERC)スターティンググラント助成金を獲得されましたね。この助成金の特徴と、プロジェクトにどのように活用されるかを教えてください

3つのことを可能にする高額で獲得するのが困難な助成金です。第一に、特に若い研究者にとってとても重要である長期的な予算計画の独立性を高めることができます。CNRSのほとんどの研究所では年次予算なので、例えば出張などは年を跨いで計画することができず、5年間の研究プログラムへの応募も不可能です。一方、ERCはさらに長期的な計画を立てることを可能にします。

 第2に出張や移動に関してより柔軟性があることです。もちろんパンデミック禍は別ですが。CNRSで日本での研究活動を行うためには通常UMIFRE (IFRJ-MFJ : 日仏会館・フランス国立日本研究所)に1年から2年間過ごすことになるため、研究者は単身赴任になる場合が多いのです。果たしてそれは小さな子供がいる女性研究者などにとっては研究に適した環境と言えるでしょうか。ERCのメリットのひとつは、研究活動の様式に関する自由度が高いことです。

 最後に、スムーズな研究活動を行うために必要な研究支援の経費が考慮されていることです。キャリアをスタートさせたばかりの研究者は、研究室にリサーチエンジニアがいたとしても、そのサポートを受けることが難しい場合が多いのです。ERCの助成金では、プロジェクトに必要な事務手続き、校正、地図作成、データ管理などをサポートする人材を採用することができます。

 つまりこの助成金によって、私は公的研究の活動を本格的に行うことができるのです。

同じ道を歩もうとする若い人たち、特に女性へのアドバイスはありますか?

さまざまな事が改善されたとはいえ、いまだに構造的な問題も多く残っているので、研究機関が率先して行動し、配慮を怠らないことが重要だと思います。個々の戦略に対するアドバイスは有用ですが、それだけで十分とはいえません。

 CNRSは若手研究者のために極めて充実した教育プログラムを提供しています。これらのコースでは、求人に応募するためのテクニックや、観衆の前でどう発言するかなど、より一般的な課題にも取り組んでいます。

 しかし私が一番言いたいのは、自分を信じて、欲望のままに考えるということです。「自分にこれができるのか」と考えれば、その答えは「できる」となる場合が多いですが、真に自分に問うべきは「自分は本当にこれがやりたいのか?」でしょう。もしその答えがイエスであれば、手段は必ず見つかります。そして、この問いは、特に研究時間を確保することが困難な女性が問うべきです。私にとっての研究は、何よりも情熱が基になっています。好きでなければできません、なぜなら私たちの仕事はまだ社会的・政治的な有用性に見合うだけの認知度も報酬も得られていないからです。