雨田泰

ライター|編集|広報|▼精神保健福祉・児童福祉などの領域を中心に活動|虐待サバイバーの…

雨田泰

ライター|編集|広報|▼精神保健福祉・児童福祉などの領域を中心に活動|虐待サバイバーの回復・ヤングケアラー・精神疾患の親を持つ子ども・心の発達・子どものトラウマ・障害者の就労など

最近の記事

日記:20230414

大きなトラウマ反応に襲われてから2週間あまり。思考はまとまらず、感情の制御は不安定で、ひどい偏頭痛をはじめとした身体症状もおさまる気配がない。 その間も着々と時間だけは過ぎていく。 そのことにひたすら焦っている。 実現したいことが自分にはある。そのために3月あたまからかなり無理をして色々と動いてきたが、どうにもうまくいかない。体調不良ももはや恒常化してしまったように感じる。 仕事外で自主的に動くべきこともいくらかあるが、それをこなしていくだけの力が今はない。 このまま

    • 名前のないライターたち。キャリア形成の格差とWebのトレンド

      文章を書くということは、いささか安く見積もられすぎやしないか。最近ずっとそんなことを考えている。 基本的に書くことはクオリティやインパクト、専門性を度外視すれば誰にでもできることだ。このnoteというプラットフォームがまさにそれを体現しているように。それ自体は全く自然なことだが、大変悲しいことに、この社会において「誰にでもできること」には価値が見いだされにくい。 それで割りを食うのは誰か。われわれライターと呼ばれる存在だ。 名前のあるライターと、名無しのライターものを書

      • 追想、令和2年「心が生まれる日」

        この記事は2020年12月31日にブログで書いたものです。 大晦日、朝方から強い不安発作に襲われている。これがクリスマスに続いての記念日反応というやつなのか。ともかく、残り少ない気力をもって今年の記録を残したい。 社会がどう変わったか、何が起こったか、そういうことを総括するにはまだ早く、今は語る言葉を持たない。だが壊れていく社会とともにあったことを、なかったことにはできない。 年明け、子どもが生まれた。 家族というかたちを憎み続け、連綿と続くその歴史を途切れさせることを

        • ともだちに会えたよ。『80年生まれ、佐藤愛 ―女の人生、ある発達障害者の場合(宇樹義子著)』

          ふと自分の内面に意識を向けると、そこにはいつも子どもの姿をした自分がいる。膝を抱えて真っ暗闇の中に座る、おそらくは小学校高学年くらいの自分の姿がイメージできる。そこは心の最深部のような場所で、他人は絶対に入ってくることができない。加害からは身を守れるが、救ってくれるものはなにもない。虚ろな場所だ。 そこに外側からはじめてやってきたのが、「佐藤愛」だった。 『80年生まれ、佐藤愛 ―女の人生、ある発達障害者の場合』は主人公である「佐藤愛」の半生を通して、その裏側に横たわるジ

        日記:20230414

        • 名前のないライターたち。キャリア形成の格差とWebのトレンド

        • 追想、令和2年「心が生まれる日」

        • ともだちに会えたよ。『80年生まれ、佐藤愛 ―女の人生、ある発達障害者の場合(宇樹義子著)』

          陽の差す時こそ雨を想え

          傷はいつか癒えるが、痛かったことまでは忘れられないし、忘れたくないと思う。そんなことをずっと何年も考えている。 別に誰かに傷つけられたとして、その誰かを未来永劫憎み続けるという意味じゃない。「自分は確かに痛かった」ことを忘れないことは、自分の痛みをなかったことにしないことでもある。そういう意味。 僕はグリーフケアの領域で、「喪失は果たして『乗り越える』ものなのか?」という問いに触れた。 何年も前、ちょうど心療内科に通い始めた頃、犬を亡くした。まさしく三日三晩泣き通し、精

          陽の差す時こそ雨を想え

          帰る場所をつくる、という誓い

          なにかドラマチックな出来事があったわけではない、どちらかといえば平凡で粛々と運んだ結婚式。それでも、ふたつの家族の歩んできた道の交差点として、今でもそのときの気持ちはしっかりと思い出せる。 僕と妻の結婚式は、軽井沢の石の教会で挙げた。もともと学生時代に二人で観光したときに雰囲気が気に入ったのと、石の教会をつくった内村鑑三の掲げる「無教会主義」という思想に共感したこともあって、ここにした。 無教会主義は教会という場のあり方についての考え方で、曰く、たとえ建物がなくとも、教会

          帰る場所をつくる、という誓い

          花と罪

          罪とはやっかいな概念だ。主観的だし、文化や文脈によって定義も中身も変わる。だから「罪と罰を法によって定める」として刑法の類がつくられたわけだが、なにも法によって規定されたものが「罪」のすべてじゃない。法に触れない罪なんて、この世界に山のようにある。 今もどこかで誰かがそんな「罪」を犯し、誰かを、あるいは自分を傷つけている。そういう意味では潔白な人間など誰もいない。僕だってそうだ。これまで罪にまみれて生きてきた人間だ。 小学生の頃、ちょうど祖父が家で倒れて死んで、それをきっ

          あの子にも空は青く見えていた

          数年前、犬の色覚についてのTV番組か記事を目にした。 僕はそれまで犬には色覚が乏しく、彼らにとって世界とはただグレーの風景に見えるものだと思っていた。 けれどそれを見て、犬にはある程度の色が知覚できているらしいことを知った。たとえば空の青。 もう何年も前の話になるが、小学校の頃から実家で買っていたボルゾイを亡くした。ちょうど全く別の理由から心療内科に通いだした頃のことだ。 うちのボルゾイは、彼女は、12歳でこの世を去った。超大型犬としては大往生といえるのだろう。けれど当

          あの子にも空は青く見えていた

          12/21_2021 pm

          本当に久しぶりに、仕事以外の話で人と会った。ようやく色々なことを話せたし、互いに似た領域で活動するがゆえの刺激もあった。 印象に残っているのは、みんな大好きBe(ing)とDo(ing)の話。発達心理学ではBeがDoの土台になるというのが定説だが、実は両者はそんなにはっきりとわかれて独立するものなのだろうか?という話になった。 酔いが残っているので適当に。 DoからBeが補強されることはあるのだろうか。またBeは分割してペルソナのように、それぞれの場所で後天的に満たされ

          12/21_2021 pm

          12/11_2021 pm

          ここ数週間、寝起きの不安発作を中心に随分と調子が悪く、1週間先の受診日を待たずに病院に行ってきた。結構予約ギチギチのクリニックだから、昨日電話して今日行けたのはラッキーだった。 今回は100%仕事周辺のストレスが原因。数週間前にあったトラブルを土台に、子どもの死亡統計や要対協・児相の対応事例なんかを調査取材のさなかで見続けていた負担がここにきて顕在化した。 とりあえず薬を二種追加。来週はカウンセリングもあるので、そのあたりで対処したい。 しかし最近ほんとに社会と繋がって

          12/11_2021 pm

          12/9pm_2021

          作業がてら話すつもりで弟とDiscordを繋いだら、どういう話の流れかInternet Archivesで昔の自分のサイトを見るみたいな会になってしまった。 正直、僕のように記憶や現実感が曖昧になる病態でこれをやると「いま自分はいつにいるのか」がわからなくなって混乱してしまうという副作用があるけれども、記憶が断片化されているからこそ、思い出せない過去の中で自分が何を感じていたかを知りたいという気持ちは強い。 だから年に何回か、ふと思い出したように同じことをする。中学2年生

          12/9pm_2021

          自分を救ってくれた3曲

          それなりにたくさんの曲を聴いてきたつもりだったけれど、最近それが実はそうでもないことに気づく。今はとにかく「広く」を意識しているけれど、これまでは本当に「狭く深く」だったんだなあと改めて実感した。 そんな意外と狭い自分のミュージックライブラリのなかにも、特別な曲というのがいくつかある。今回は邦楽に絞って、それを紹介します。 1.カミナリグモ『王様のミサイル』 僕と同郷、長野県のバンド。最初期からある名曲です。浪人中に何度も何度も繰り返し聴いた曲。「戦争と平和」が曲の題材

          自分を救ってくれた3曲

          「ただいま」を言えなかったから

          帰る場所は、いつだって記憶の中にしかなかった。 実家を出てから初めての帰省。慣れ親しんだはずの実家のドアを開けたとき、心の中にあったのは「ただいま」ではなく「おじゃまします」だった。僕はもうそこを自分の家だとは思えなくなっていた。 寂しさもあった。裏切ったような後ろめたさもあった。しかし同時に不思議な解放感もあった。ようやく自由になれたという解放感。家とそこに紐づく家族という場は、あの頃の僕にとって確かに呪縛だった。その呪いは解けつつあるが、まだ終わりは見えない。 実家

          「ただいま」を言えなかったから

          自分が本当に恐怖を抱いていたのは、居場所のなさではなく、一度手に入れた居場所を喪うことだったのかもしれない。

          自分が本当に恐怖を抱いていたのは、居場所のなさではなく、一度手に入れた居場所を喪うことだったのかもしれない。

          イジられて死にそうになった話

          Lサイズのピサを注文して、それを一人で食べる。最初の一切れくらいは美味しさとか味を感じられるけど、残りはもうひたすら求めるがままに体に押し込むという感じになる。心の中に穴が空いていたとして、それを食べ物で埋めようとする。そんなイメージ。 ただ悲しくなる。食べ終わった後に得るのは満足感じゃない。食べる前に増す虚しさと悲しさ。泣きたくなる。またこんな食べ方をしてしまった。また無駄に金を使ってしまった。色々な悲しさが、腹部の苦しさとリンクして自然と涙が流れてくる。 なんでこんな

          イジられて死にそうになった話

          僕らを救うためだけの言葉

          2018年11月16日。 武道館で行われたamazarashiのライブ「新言語秩序」は、言葉のディストピアというストーリーを下敷きにしていた。テーマは「言葉を取り戻せ」。http://www.amazarashi.com/newlogosorder/ 2018年12月8日 NPO法人soarの年に1回のカンファレンス。テーマは「語り」。べてるの家の向谷地さんは当事者研究の役割の一つは、あるいは回復のキーの一つは「言葉を取り戻す」ことにあると言っていた。 2018年12月1

          僕らを救うためだけの言葉