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ライターは書くだけじゃダメなのか?

30半ばに差し掛かかった2020年、ライターとしての活動を始めたときに思ったことがある。

「新しい仕事をはじめるのは、これが最後になるかもしれないな~」と。

もちろん、年齢を重ねたって新しいことはできると思う。むしろ何だって挑戦できるという気持ちは、ずっと持っていたい。けれど、新しい仕事を始める胆力は、やはり30代までが限界かもしれないと感じている。

20代のころは、誰に何を言われようと挑戦を選んだ。好奇心が勝るのだ。迷いや不安はあるけど、「何か大きなことができるのではないか」と、期待に胸を膨らませた。

30代になり、気持ちが変化した。「何かを成し遂げられなくても、自分を好きでいられればそれでいい」。周りに認められることより、心のバランスを崩さない方が大切だと感じる。

本音を言えば、そりゃ認められたい。

けれど、認められることを一番に考えても、思い通りには100%いかない。だから考えてもしょうがない。必然的に、自分の快適ゾーンを見つけるほうへと意識が向くもの。今はそういう時期のようだ。

頑張ることに疲れたあなたへ……。

今日は、頑張ることに疲れた誰かに向けて書いてみる。これは、少し前の自分への言葉かもしれない。

心が疲れる仕事は、続かない

2020年6月、コロナがきっかけで仕事の地盤がぐらつき始めた私は、「子どものころから好きだった『書くこと』なら、仕事にできるかも」と考えた。そんな短絡的な考えでライター活動をスタートしたため、最初は迷走した。

『書くこと』といっても、いろんな職業がある。まず手始めに、SEO記事を書くウェブライターから始めたのだが、これがしんどかった。たいした長さじゃないのに、書くだけで心が疲れる感じ。「これは頑張れないわぁ」と思った。

今度は、「人」にフォーカスを当てるインタビューライターを始めた。「これなら続けられるかも……」と思った。人に取材することは、自分と違う価値観に触れること。だから時にしんどいこともある。でも、心はあんまり疲れなかった。

ただ、人への取材記事でも、型にはまった書き方で書くのはいやな気持ちがした。

いったいなぜだろう? 私は書くことが好きで、どの仕事も書くことなのに。私はワガママなんだろうか。

そんな風に感じていたあるとき、黒板マーケターの藍田留美子さんに取材して、自分の方向性に気づかされる。

藍田さんは言った。

「もったいないという気持ちになるのは、黒板をアートだと思っているからかもしれません。私は、書いたものを“作品”とは思っていないんです。
作品と呼んでしまうと、アーティストが主役になってしまいますが、あくまでもお店が主役です。黒板は、お店とお客様との距離を縮めるためのツール。しいて言うなら……『お店のスタッフ』と思って書いています」

「手書き黒板で収益倍増!? 黒板マーケターってどんな仕事?」より

私は思った。

「あ、自分の書いた原稿、“作品”って思っちゃってるかも……」

藍田さんの黒板を描く意義を聞いて、逆に私の書く意義は「いい作品をつくること」だと気が付いた。

アーティストや作家。私はそちら側に情熱が傾いていたんだ。

アーティストがいい作品にしようとするとき、睡眠もとらず、食事もとらなかったりする。でも疲れない。躍起になっているから、心も体も疲れないのだ。

その感覚は、少しわかる。原稿に向き合って泣いたり、笑ったりしている自分が好きだと感じる。

SEOの記事を書いていたときは、作品とは思えなかった。だから書く意義を見いだせなかったんだと思う。好きなことへの、自分なりの捉え方を理解していなかったのだ。

全部、作品に対する愛だった

子どものころの記憶を、思い出してみる。ミヒャエル・エンデの『モモ』について、誰に頼まれもしないのに原稿用紙8枚書いたあの日。夏目漱石の『こころ』のページの端に、登場人物の心情を書き込んだあの日。

あれは、登場人物への憧れだった。著者に対する尊敬だった。全部、作品に対する愛だった。

「書くことが好きだから、ライターになったんでしょう?」

それは間違いじゃない。私もそう思ってライターになった。けれど、書くこと自体が好きなわけではない。書くことは、作品に出会うための手段である。

「感動する作品に出会いたいから、ライターになった」

これが私なりの答えだった。

ライターは、書くだけじゃダメなのか?

30代でライターの仕事に巡り合ったわけだが、この年齢でスタートしてよかったんじゃないかと、今は思う。

「何かを成し遂げられなくても、自分を好きでいられればそれでいい」。

そう思うようになった私は、少しだけ、完璧ではない自分を好きになっている。

20代は、足りないものを探し歩いていた。完璧ではない自分を許せなかった。だからこそ、新しいことにも挑戦できたんだろうけど……。

今は、足りないものを探すより、持っている武器を磨くほうが楽しい。その武器をたまに使って、「ありゃ、まだダメだー」「お、これはうまくいったぞ」と、一喜一憂している。

「○○が好き」っていうその深層に、隠れた好きへの思いがあって、それは誰に認められなくてもいい、パーソナルなものだったりする。

ライターは書くだけじゃダメなのか? ダメではないけれど、自分なりの楽しさを見いだせないと、続けにくいのではないかなと思う。

この気持ちは、また変わるかもしれない。どうだろう。

(記:池田アユリ、写真:YUJI)

#この仕事を選んだわけ

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