見出し画像

就活と転職のことと、面接官をして改めて思ったこと

新卒で入社した会社を1年と経たず退職して、転職して、数年が経った。当時考えていたこととか 振り返って気がついたこととか。そういう話です。

新卒で入社した会社は福利厚生が魅力だった。有給取得がしやすく残業はほとんどない。そして、手当や制度がかなり充実していた。
仕事に対する想いや希望は特になく、プライベートさえ楽しく過ごせれば十分。そんな風に考えていた私は、就活もそこそこに その会社への入社を決めた。

配属先は営業部。仕事もしんどかったけれど、
でもなにより、直属の上司が苦手だった。
感情を優先して、感情に則って行動する人だった。怒るポイントや教えられる業務内容が日によって異なり、矛盾箇所を確認すると罵られた。いつまで経っても仕事を覚えられず、毎日家を出るのが憂鬱だった。

休みの日もずっと仕事のことを考えていたり、1人で外回りをしているときに突然泣き出すことが増えたりして、考えた。

この会社にいていいんだろうか?

4月に入社して、夏頃だったと思う。このままだと 自分は潰れるに違いないと確信があった。
完全に潰れてしまったら、もう立ち上がれないかもしれない。転職活動をしたところで、自分の長所や自己PRを自信を持って話せないのではないか。人と話すのが怖くなっているのではないか。
いまならまだ、自分が好きだ。人の目を見て話すことも、いまならまだできる。辞めよう。
そう思った。

それから数日後、親に仕事を辞めたいと伝えた。

考えが甘い。最低でも3年は頑張らないと転職したってどうせ続かない。異動になれば上司だって変わるんだから、耐えるべきだ。

そんな答えが返ってきた。

職場の面談で 別の上司にも相談した。返ってきた言葉は全く同じだった。

実は、いまでもまだ わからない。
この “ 最低でも3 ” ってなんだろう?
退職金が出るまでの期間でもなければ、失業保険の受給資格というわけでもない。
それでも、上の世代から同年代までいろんな人が口にする、3年という区切り。

どうせ辞めるなら早く辞めた方がいいのではないか?その期間、次の会社で経験を積んだ方が良くないか?私の貴重な3年を、こんなところで浪費するわけにはいかない。
そう思って 結局、周りの人達をろくに納得させられないまま転職活動をはじめた。

それでも、これまで それなりに真面目に生きてきたつもりだ。勢いで行動して、これまで積み立ててきたものを0にするのは嫌だった。
どうせやるならと、きちんと計画を立てて 就活をやり直すつもりで取り組むことにした。自己分析に1ヶ月、面接に2ヶ月。今年中には必ず辞めようと期限を切った。

やりたい仕事と向いている仕事。
譲れない箇所と妥協できる箇所。
自分の長所と短所。

恥ずかしい話だけれど、「やりたい仕事」について考えたのは このときが初めてだった。ずっと プライベートを充実させられれば仕事なんてなんでもいいと思っていたのだ。
勤務外の時間を充実させたいと考えるならなおさら、仕事は真剣に選ぶべきなのに。
友達と話をしているとき。綺麗な景色を見たとき。好きな音楽を聴いているとき。そんなときに不意に思い出さないために。プライベートに不安や憂鬱を持ち込まないために。そのためにはきちんと選ぶべきだと、当たり前だけれど、いまさらだけれど、今はそう思う。

土日祝休みの会社から、土日祝休みの会社への転職活動はすごく大変だった。
架空の親戚の架空のお見舞いに行くこともあれば、頼んで土日に面接をしてもらうこともあった。こんなことなら 学生のときにきちんと就活しておくんだったなぁと思ったけれど、いまさら思っても仕方がない。
いくつか内定を貰い、そのうちから1つの会社に決めた。

改めて、上司に仕事を辞めたいと伝えた。
経緯や理由は濁して 今までお世話になりました と挨拶をし、円満に事を運んだ。
有給消化をして退職した次の日から、新しい職場で働くことになった。

私がやりたいと思って選んだのは経理職だった。文系専攻だったけれど数字や計算が好きで、簿記が好きだったのだ。
経理や会計に憧れがあったけれど 新卒での採用枠がなく、総合職でいずれ異動できれば程度に考えていて すっかり忘れていた。

そしてたまたまだけれど、この職種は私にはかなり向いていた。
相手の感情や機微を読み取って臨機応変に対応するのは苦手だが、ルールやデータに基づいて処理をするのは得意だった。相手に意見を主張するのは苦手だけれど、当たり障りのないやり取りや会話をするのは好きだった。
自分にも得意なことがあったんだなと 少し安心したのを覚えている。

仕事に徐々に慣れてきた頃、前職を振り返って考えた。もしかしたら もっと頑張れたかもしれないな、決断が早かったかもしれない。
ところが、決してそんなことはなかった。

消しゴム使わないのってどうして?

先輩に言われて、気がついた。
無意識だったけれど使わなかったのは、なんとなく 怒られるような気がしていたからだ。
他にも、例えば 資料に蛍光マーカーで線を引くとして。ピンクか黄色か、怒られないのはどちらか 一瞬手を止めて考えてしまう。
どちらを使っても怒られるわけないのに、いままでそれがおかしいということにさえ気が付かなかったのだ。

あのときすぐに決断できて、逃げられてよかった。心からそう思った。いまは蛍光マーカーを10色くらいデスクに置いていて、そのときの気分で 自由に色を選んでいる。

何年か経ったある日、人事部に欠員が出て しばらく応援に行くことになった。
頼まれた仕事は採用担当の補助。何の因果か、今度は私が採用側、面接官側に立つことになった。

履歴書や職務経歴書を読んで、面接をして。採用側になって初めて気がついたことがある。

それは、「こんな人いらない」と不採用にするパターンはかなり少ないということだ。

少なくとも私の会社では というところではあるけれど、ほとんどは「いい人材だけれどうちの社風には合わない」「もっと生かせる職場がありそうだから」「求職者の条件と合わない」といった 相性による可否判定だ。

だから、不採用通知を受けても「劣っている」わけではないと、これだけは声を大にして伝えられたらと思う。それどころか、「こんなにすごい人が来ても持て余してしまう」という理由で不採用にすることすらあるくらいなのだ。


その後 また経理部に戻り、そこでずっと働いている。仕事は楽しいし、なにより突然泣き出すこともなくなった。
大きなミスをしたとこも辞めたいと思ったことも何度かある。それでも、「でも転職活動めんどくさいしなぁ」と足踏みする程度には 今の会社で満足している。

私は個人的にこの転職は成功だと思っているのだけれど、実は周りからの非難や嘲笑はそれなりにあった。
上の年代の親戚には「これだからゆとりは」「根性がない」「俺達が若い頃はもっと」と会うたびに言われたし、前職の先輩にはわざわざ呼び出されて罵られた。
退職の相談に乗ってほしいと持ち掛けてきた元同期には「でも私は逃げずに頑張ろうと思う」とか言われた。
もちろん おめでとうと言ってくれた人もいたし、幸せそうで良かったと声を掛けてもらったりもしたけれど。

私だって、自分に根性があるとは思っていない。自己肯定感は低いし、逃げ癖もあると思う。怒られたら凹むし、メンタルも弱い。
でも、労働は1日の1/3を占めるのだ。いまの日本では給料だってさほど多くない。
それなら、しんどい思いをしなくたっていいじゃん。しんどいは強要されなくてもいいし、泣きながら仕事をする必要だってない。

「死ぬ気でやれよ、死なないから。」って言葉、ときどき耳にするけれど大嫌いだ。自分を鼓舞するなら良いけれど、人に向かって発すると凶器にすらなると思う。
動けなくなってからでは逃げることもできない。もちろん逃げることだけが正解ではないけれど、耐えることでその先が見えることもあるけれど、自分の心身をいちばん優先するべきだと思う。
周りがなにを言おうと、どうせ誰も責任なんて取ってくれないのだ。

耐えるのも逃げるのも、しんどい思いをするのも楽な道を選ぶのも全部全部自分で決めていいし、どの選択だって悪くない。
でもどうか、その選択は世間体とか周りへの配慮ではなく、自分を幸せにするためのものであってほしいと そう思う。

この記事が参加している募集

転職してよかったこと

退職エントリ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?