夢をみなくなった。もしかしたら、夢はみているが朝起きると覚えていないだけかもしれない。今日も夢を見ることはなかった。僕は最後に見た夢を鮮明に覚えている。動物になる夢だった。脚は細く変化していて、身体は手触りの良さそうな体毛で覆われていた。嗅覚と味覚は正常に、いや人間だった時よりもしっかりと機能しているように思えた。動物になった僕は恐る恐る人間の世界から離れ、静かで空気の澄んだ山で暮らした。山で暮らし始めて、野草や木の実を食べ風雨に身体がさらされると不思議と初めから動物だった
「お願いします。」なんの脈絡もなく、そう彼女に言った事をはっきりと覚えている。 大学二年生で講義が初めて一緒になった彼女だったが、僕は前から彼女のことを知っていた。 去年の文化祭に友達とはぐれ、近くの教室に入ったら、そこは百人一首のサークルだった。 そのサークルの人数はあまりにも少なくて入って早々に、気まずいと感じたのを覚えてる。 それに、はぐれた友達もいなかった。 初めに案内されたのは気さくな男の先輩だった。 なぜ先輩と分かったのかと言うと、その先輩が頻繁に喫煙所に行く
夜の公園で彼女は右手の人差し指を僕の唇に当てて顔を覗き込む。 周りは静かすぎるくらいで、公園近隣の生活音すら聞こえそうだった。 唇に当てられた第一関節は柔らかく、彼女の目は微かに光って見えた。 僕は人差し指と彼女を交互に見ると、彼女は顔を近づけた。 彼女と僕は人差し指を挟んで口付けをした。 柔らかい指が押し込まれ唇に強く当たる。 頭が熱くなって考えていた事が全て溶けていく気分だった。 唇で指の付け根までなぞる。 彼女も同様に恍惚とした目で指をなぞると、指先がほんの少しだけ曲が
「こっちにきて。」 そう言った彼女の声は、か細かった。 でも感情は確かにこもっていた。 「え、今から?」 僕は急に言われた言葉に驚きを隠せなかった。それに彼女の家も顔も知らない。 「いや違うの、家に来るんじゃなくて。こっちにきて。」 彼女は自分の言っていることが、さも正しいかの様に言い直す。 電話と耳の距離を近づけると耳に電話があたる。 「ん?どこに行くの?」 直接しか会う方法を知らない僕は、我ながら間抜けな声で聞き返す。 「こっちにきて。」 三度目だった。 その一言で僕はど
名前も知らない猫目の彼女に好意を抱いた。絵に描いたような猫目で、視線は僕の目の奥に注がれているかのようだった。 猫目の彼女は、偶然入ったドーナツ屋さんでアルバイトをしていた。注文したオールドファッションを2個お皿に盛り付けて、熱いコーヒーを淹れてくれた。ドーナツとコーヒー代を彼女に渡し、僕はお釣りを受け取る。彼女は僕の眼を綺麗な猫目で見続けながら挨拶をした。 「ありがとうございます。ごゆっくりどうぞ。」 「いただきます。」 僕は感謝を込めてそう告げて軽く頭を下げた。 こ
朝陽が降る。目覚ましよりも少し早く起きる。僕は、眠い目をこすりながら代り映えのしない部屋を眺める。重い腰を持ち上げて洗面台に行き、彼女の笑顔を思い出す。作り笑いという言葉を知らないような、屈託のない笑顔。綺麗だった。僕は鏡の前で頬をあげる。鏡に映るのは、笑顔というにはあまりに未完成だった。洗面台を離れ、コーヒー粉をカップに入れ、熱いお湯を注ぐと粉は見えなくなる。コーヒーの表面は色が濃く、泡立ちだした。それをテーブルに持っていき腰を下ろす。口に含むと、苦みから唾液が舌の上を覆
大都会に漂流した。ただ時間を浪費しているのが初めは怖かった。カッターで印をつけると日にちの感覚を失わないようなった。私は今でも覚えている。初めて印をつけた時に生きていると強く実感した。印が増えていくたびに実感はますます増した。そうして、私は漂流してから今まで印をつけ続けてきた。でも困ったことに、もう印をつける場所が少なくなってきた。印はだんだん小さくなっている。しかし私は小さい代わりに、深くまで印をつけた。もっと初めから小さくしておけば良かった、なんて後悔をする。でも、それは