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借金、労働、拝金主義が、『どうぶつの森』世界でなぜほのぼのと成立し得るかという話。


みなさん『どうぶつの森』、やってますか?

コロナの「自粛」によるお家時間の増加と相まって、世界中で大ヒットしたこのゲーム。私は今はこのゲームはやっていないのですが、小学生の頃によくやっていたのを思い出します。

さて今日は、私が「どうぶつの森」について想うことを綴ります。


結論を言うと、「どうぶつの森」的世界観には、現実世界において私たちが楽に生きるためのヒントが詰まっている!ということを発見した話です。つまり「現実世界」を生きる上で、どうぶつの森から応用し得る「生き方」について。


どうぶつの森ってどんなゲーム?

このゲームは、ほのぼのとした日常を楽しむスローライフゲームです。魚を釣ったり果物を採ったりして、お金を稼いで(もちろんゲーム上のお金)、そのお金で家を建てたりリフォームしたり、服を買ったり家具を買ったりします。

最新版「あつまれ!どうぶつの森」では、無人島に住居を構え、島をデザインしていくという舞台設定です。楽しそー。


「どうぶつの森」とは、なにやら平和的でクリエイティブ、ほのぼのとしたふうに聞こえますがしかし!どうぶつの森の中で行われているものは、言葉を変えると、要するに「労働」と「売買」です。

島についたその日にも、何やら「たぬきち」なる不動産屋?的なタヌキに島の使用料を払わなきゃいけないらしく、リフォームするにも島をアレンジするにも、ことあるごとに彼にお金を払わなきゃいけないみたいですね。

なんなの、たぬきち。こいつの存在に異議を申し立てる者はいないのか。


要するにこのゲーム、ある程度何をするにもお金が必要。しかも株の売買なんかもやっていて、ほのぼのしていそうなこのゲーム、よく考えるとばりばりの拝金主義的世界観ではあるんです。


で。私がここで疑問に思うのは、なぜそのようなゲームに人気があるのか。なぜこのように皆が「ほのぼの」とした気分で「労働」「消費」「借金」という、現実世界で“怖いもの”とされている事象を、この森では「楽しいこと」としてできるのか。

その理由を考えてみました。


「どうぶつの森」における生活が、なぜほのぼのし得るかという考察(ゲームだから、とかは置いといて)


理由①「競争」がない

まずこのゲーム、自分の島ではプレイヤー(自分)以外のキャラクターが全て「どうぶつ」です。すると不思議、「競争感」がなくなるのです。


たとえば想像してみてください、島の住民が全員人間だったら?もっと言えば、それがオンラインで集うリアルな人間プレイヤーの集まりだったら?外見がなまじ似ている分、服装とか、家の大きさとかデザインとか、そういうところで自分のオリジナリティを発揮しなければいけない気がしませんか?

よりお互いの目が気になってしまう。「比較」してしまう。


だから、島の住民がみんな「どうぶつ」であること、それが「競争」を生まない、いわば「自分の生活のみに没頭できる」原因なのかなと思います。自分の生活を「比較する対象」がないことが大切なのですね。


おれはおれ、ネズミはネズミ。



ほのぼの理由②「死なない」保証がある

どうぶつの森では、死ぬ可能性はありません。お腹が空かないから、餓死する心配もない。(そもそもゲームだからね、と言われたらそれまでですが)

借金が重なっても、たぬきちがヤクザでないから脅迫される心配もないし、お金が稼げないからと言って島から追い出される心配もない。まあ仮に家がなくなったとしても、砂浜ででも寝ればいい。襲いにくる人なんていないし。

そうすると、生きてく上で「義務」がなくなり、やることすべてが「遊び」になるんですね。


お金を稼ぐためにやっているはずの昆虫採集や果物採集さえ、「遊び」の一環になる。そしてなんかワクワクしちゃうんですよね。これはなぜでしょう?ノルマがないから?「働かなければいけない」理由がない上でやっていることだからかな?たとえば、どうぶつの森だって、一日に何匹カブトムシを捕まえなきゃいけない、さもなくば追放、とかいうルールの元でだったら、ここまで楽しくないはずです。


義務ではない。強制ではない。「自由意志」によるものである。だから楽しい。


私たちは現実世界で往々にして、「生きていくために」「食べていくために」労働をしていますが、どうぶつの森のように「絶対に死なない」保証があれば、労働自体が「趣味」というか「暇つぶし」というか、昆虫採集や魚釣りくらいに「遊び」になったり、するのかもしれませんね。


ほのぼの理由③お互いの「干渉」がない

どうぶつの森では、村人同士のコミニュケーションは「必要最低限」。込み入った質問・回答はできず、できるコミニュケーションといえば、「スキ」「キライ」レベルのもので、これはまさに「どうぶつ」的ですね。

お互いが、どう生きようがどう考えようが、どのくらい借金があろうがどんなことでお金を稼ごうが、そこを探られることはない…。どうぶつの森ではこの程よい距離感が心地いいのではないでしょうか。

理由①で述べた「競争がない」という点とも似ていますが、お互いが自分の生活に集中でき、みんなが放っておいてくれる世界観。そこが約束されているというのは、どうぶつの森の世界を構築するもののうち、とても大きなものだと個人的に思っています。


この感じが好き。



まとめ

要するに「どうぶつの森」における生活のほのぼの理由をまとめると、

①「競争」がない
②「死なない」
③お互いの「干渉」がない

以上3点です。


ということはつまり、

・競争
・死への備え
・他人の干渉

これが無いことが「借金」「労働」「消費」といった事象でさえ「ほのぼの」とさせてしまう「どうぶつの森」的世界観において、重要なことなのでは?


絵に表すとこんな感じかな↓



ここで、上の3点「競争」「死への備え」「他人の干渉」を加えると



ね、一気に現実世界感。


発見!だれもが「どうぶつの森」的にこの世界を生きる方法。


ここで思いつきました。

この「どうぶつの森」の世界観を現実世界で応用したら、私たちは現実世界でも、ほのぼのスローライフ的、ゲーム的なマインドで生きることができるのではないか!?と。

私は過去に「人生をRPGとして生きてみたら楽になった」という旨の記事を書きましたが、その実践方法を今見つけたと言ってもいいと思います。

↓コチラ

https://note.com/amayadoriwo/n/nfe73a5a1241b


つまり言い換えると、

・他人と比べず、争わない
・必要最低限の「死なない」保証がある
・お互いに良い距離感を保ち干渉しない

これがあるだけで、借金も労働も、怖くない!


ゆったりほのぼの、バイトや果物採集や魚釣り、全てが「お金を集める手段」であると同時に「娯楽」となり得る世界観。だれも誰とも比べない世界観。だれもが日常そのものを、劣等感や焦燥感なしに生きられる世界。

ああ、なんてユートピア的。こんな世界観をどうぶつの森は提案してくれていたのですね。なむなむ。


では具体的に何をすればいい?

どうぶつの森的世界観で生きるためには、具体的に何をすればいい?というところを私になりに考えてみました。


①他人と比べず、争わない

→自分のマインドを変えましょう。自分は自分。他人は他人。


②必要最低限の「死なない」保証がある

日本にいればまず大丈夫かと。なんだかんだ豊かな国だし、圧倒的に治安が良いし、最低限命を保つための社会保障は整っています。


③お互いに良い距離感を保ち干渉しない

まずは自分が人に干渉しないこと。そして干渉してくる人とは距離を取置きましょう。



ほら、これだけで、あなたの世界も今日からどうぶつの森(笑)
こう具体的に書いてみると、なんて簡単なことでしょう!なんて実現可能なことでしょう!


「いやいやそんな簡単にはいかないよ!」と言う人がいるかも知れません。


でもこれは、実はすっっごく簡単なことなんだと思います。
川があって森があって海があって、お家があって友達がいて時間があって…。

どうぶつの森の世界に近づくために、今の世界に物質的に足りないものなんて一つもないじゃないですか。

あとは一人一人の「在り方」、「心」の問題です。


私たちが余計なものを付け加えて、複雑に考えているだけなのかもしれません。「生きる」ことについて。「生きていく」ことについて。


ほんとに、誰もがシンプルに生きていることをただ楽しめる世界。そこにたどり着くために、私たちが必要とするものは、たぶんもうほとんどないのです。この地球という場所が、早くそんな世界になればいいなって、思います。

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