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待っていてくれた鳥

大事にしていたものを落とした。
気づいた時、心臓がどきどきして、手が痺れたみたいになった。
大きく動揺するとそのことで自分がショックを受けてしまう気がするのか、とっさに取り繕おうとしてしまうようなところがある。
諦めるわけにいかないものだったのですぐ我にかえって、探しに戻っていい?と一緒にいる友だちに頼んだ。

美術館に入った時にはまだ確かにあった。
その後は、と手に触れた感触を思い出そうとするけれど思い出せない。
携帯を盗まれた時のことを思い出す。
そのときにも胸がどきどきして手が痺れたみたいになった。
でも今回は盗まれたのとは違う。
私はそれが最後に手元にあったときの手触りを指に再現させながら、いまそれがどこにあるのか、どういう状態にあるのか、時間と場所を頭の中で詰めていく。
もちろんそれでそのものの居場所が分かるわけではない。けれど、なんとなく行く先が想像できるような気がしてじっとさぐってしまう。



いつだったか、帰宅した彼の財布が見つからず、もしかしたら電車か駅で落としたのかもしれないと真っ青になったことがあった。
パリでは人目のつく場所に落とした財布や携帯があとから見つかることはまずない。親切な人が駅かもしくは警察に届けてくれることがもちろん無くはないけれど、ほぼ聞かない。
本人はひどく落胆していた。
その財布は使うほどに飴色になる革や簡素なデザインを気に入って私が贈ったものだった。彼はものをとても大事に長く使うひとで、良い味が出るまで使い込むのを楽しみにしていた。
念のために家中を探し回ったあとで、きっと駅に行っても見つからない、無駄足になる気がする、と彼が言った。
ちょうど悪いことが重なった時期で、疲弊していたこともあって珍しく財布から気が逸れていた、もしかしたら盗まれたのかもしれないとぼそりと言う。
私もパリはそんなに優しくないことを知っている。
それでもなんだかどうしても諦められないような気がして、とにかく駅まで行こうよ、と彼を引っ張っていった。
駅までの道を遡りながら道路や植え込み、ゴミ箱の中まで探したけれど、やはりどこにも見当たらない。
駅員さんにも尋ねてみたけれど届け出はないよということだった。
やはりないか。何だか見つかるような気がしたんだけど。
見つからなかったけれど、駅まで一緒に来てくれてありがとうね、と少し元気を取り戻す。お財布ならまた買えばいいし、またたくさん触っていい色にしたらいいんだから、と家に帰った。

帰って、コートを仕舞おうとした時に、なにかが頭のなかで引っかかった。
押入れの戸を開けたらあるかも、と思ったら、やっぱり押入れの中に財布が転がっていた。
最初に帰宅してコートを仕舞った時に落ちて、ずっとそこにあったのだ。

道にはちょうど私の落としたブローチくらいの大きさのガムの跡があちこちにへばりついていて、雨と車のライトで白く光っていた。
こんな中に落ちていても見分けがつかないんじゃないだろうか。
むしろ、見分けがつくくらいだったらきっと誰かが拾ってしまうにちがいない。
閉館後の美術館を訪ねてもスタッフの人が快く探させてくれるとは思えないし、連絡先を残してもその紙を無くされるのが関の山だ…。
心配ごとはぶくぶくと胸を満たしていったけれどとにかくわたしの鳥、わたしの鳥、と念じながらブローチを探した。
ブローチは、彼が作ってくれたものだ。削ったり、溶かしたり、焼いたり、手で撫でさすってやっと出来たのを隣で見ていたのだった。
美術館の入り口が見えてきた。もう人はいない。完全に閉まっていたらどうしよう。
最後の横断歩道を渡りきろうとした時、そこに鳥は落ちていた。
ずいぶん時間が経っていたのに銀の鳥のブローチはぺたりとそこで光っていた。
そんなにあっさりと見つかるとは思えなかったので金属の破片を見誤っているのかと思ったけれど、やっぱり鳥だった。
拾い上げると車に轢かれていたようでピンが曲がり、羽根にも傷がついていたけれど、そんなのいくらでも直してあげられる。
鳥はわたしのところに帰ってきてくれた。

帰宅してすぐに歪んだ羽根やピンを直してもらったけれど、薄くついた傷はそのままだ。
車のタイヤに轢かれても、このくらいの傷で済んだ。
誰にも拾われずにちゃんとあそこで待っていてくれたんだなあ、と思うと大事にしなくてはいけない。
かすかにぎざぎざした傷に触れながら、ものと縁ができるというのはこういうことなのか、ほんのり、こういうことをわたしはこれからちゃんと手にしてゆきたいのかもな、というようなことを考えたりして、だからこの傷はこのまま直らなくてもいいんだ、と思ったりした。



ブローチは私がちゃんとピンを留めていなかったことが原因で落ちたのだった。
正しいピンの留めかたを教えてもらったのでもう落とさない。

そうそうHさん、細かい雨がじわじわと体を冷やしていたのに、一緒に探しに戻ってくれてありがとう。

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