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役に立つことは全然してないけど手は動かした日の日記

言葉や感覚について考え活動している方とお茶をする。
いつも興味深い話を聞くことができる。
ほんの短い時間なのに、だからこそいっぱいしゃべりたくてどきどきしてしまう。
どきどきするのは、短い時間でちゃんと伝わるように話せるかということに緊張するから。
変なの。
私も、今ある感覚や、自分の中で固めた言葉だけでないものを探しに、誰かともっと話したい。
日本語でももちろん話したいし、できればそういうことを他の国の言葉のひととも話せるようになりたいな。
わたしが長年親しんで、からだに染み込ませてきたことばと違う感覚をもっと知りたいし、そして私もフランス語で自分の感覚をどう微細に捉えようとするのかというところに踏み込みたい。
でもまだまだだ。
まだまだすぎて、このところずうっと呆然としている。
呆然としていたって進まないよね。

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ある種類のことに対してわたしはひどく心を揺すられたり糸をぷつんと切られやすいけれど、だいたいのことにはそんなに動じない。
「傷つきやすい」とか「私は強い」とか、そういう風に分類するのはもうやめた。
何かを感じたその瞬間を捻じ曲げて認識することになりかねないし、事前に予防線を張って安心したところでそれが何になるのだ。

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パソコンの中には、今まで現像したフィルムのデータがたくさんある。
展示に使ったり、ブログに貼り付けたりしてみたものもあるが、多くはパソコンのなかに静かに眠っている。
フィルム一本/36枚の写真が組みになって、何年何月、というふうに並んでいたのに、macのiosを最新にしたらフィルムごとのまとまりがばらけてしまった。
なにしてくれる。
でも、おかげでもう二度と見たくないと早足で通り過ぎていた写真を見られるようになったことに気づいた。
悲しいこととか苦しいことは時間が解決してくれると良く言うけれど、それが誰しもに、どんな状況にも当てはまるわけではない。
けれど少なくとも私にとっては、時間が解決するものごとが、確かにあった。
時間が経ったことと、自分が年をとったことかな。
そのふたつは同じことのようで、実は違うことだ。

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昨日作っておいたキャベツと豚肉と春雨の醤油炒めはSNSで流れてきたレシピ通りに作ったのだけれど、すごく美味しかった。
今日はそれに加えてカリフラワーのピクルスでも作ろうかな。

写真は、いつかのおばあちゃんちでの夕食。

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