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再びのロックダウン、ストレッチ放送について悩む、続けるということ

今日の24時からパリは少なくとも1ヶ月のconfinementに入る。
1年前もちょうど今頃から厳しい外出規制がかかったので、春になって暖かくなったら状況は変わるのかもしれないと予測したのはやはり甘かった。
1年前は私自身も感染を恐れたし、自分が媒介することも防ぎたかったので細心の注意を払っていた。外に出ないのはもちろんのこと、必需品を買うときも極力ものに触れない、ビニール袋を手に巻いて商品を取る、配達物はすべてアルコールで拭き取る…でも夏前にはとっくにその状況や恐れる気持ちにも慣れてしまっていたな。
今では生活の形態はかなり変わったものの、感覚としてはごく平常に過ごしている。

1年前には20時になったら医療関係者に拍手を送るようなことも行われていて私もときどきそこに参加したし、それによって近所の人と遠いコミュニケーションをとれて胸が温かくなったりはしたけれど、結局そういう行為も一時的な情動から来ているひとがほとんどで、イベントのように消費される行為であることも想像できた、そしてやっぱりフランスの大半のひとたちはバカンスもクリスマスも我慢しなかった。

1年後こうして再びconfinementになったけれど去年よりはずいぶん罰則も緩く(私自身もそうだけれど)危機感が薄れている人も多いから、おそらく去年ほどの抑制効果はないだろう。
案の定今日の夕方はパリから規制のゆるい地方に移動する人たちで300kmほどの渋滞ができたそうだ。

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この頃はSNSで社会問題について何かを言う気になれない。
自分の知識や言葉の稚拙さが主な原因でもあるけれど、ますます「多くの人」に対して懐疑的になっていて、その「多くの人」たちに向かって何を話せばいいか、何かを話したいのかわからなくなっている。もちろんSNSで繋がっている中には「その他大勢」に含まれない人だっていることは言わずもがなだけれど。
SNSという雑多で広大な空間にどこの誰に届くともわからないまま言葉を投げるのは嫌いじゃない。だからこんなに長いことインターネット上にTweetや日記を書いているのだけれど。
けれど、本気でそこに怒りや言葉をひねり出す時間を使うことに、このごろますます虚しさを感じる。

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ストレッチの動画更新もライブもふっつりと途絶えさせてしまったけれど、毎日どうしようかな、どうにかしたいな、どうにかせんといかんな、と考えている。
1年前、勢いに任せて手探りで始めた、あの惰性だけでやってゆくことができなくなって、少しだけ休もうと思ったのに、再開するきっかけ…というか理由がうまく自分に説明できないまま時間が経っている。同じことをリスタートしても芸がないというか、私自身も面白くない。私が面白くなかったら見てくれる人たちはもっとつまらないだろう。
短い動画を配信してみたものの、そういう動画は他にもいっぱいあるしなあ…私が本当にやりたいのはある程度の時間体に集中してみることで、もしかしたら体同士が向かい合うことなのかもしれない。短い動画が見やすいことも承知なんだけど、そんな風にほかに代わりがあることをわざわざしてなんだか申し訳ないような気持ちになってくる。
ZOOMで再開してみようかなということも考えている。
需要があるのかぜんぜんわからないけれど。

さて、とても久しぶりに日記を書いた。
文章は書かないとどんどん書けなくなるな。
本も読まないとどんどん読めなくなる。
そういえば20年も続けてかなりの腕前だったエレクトーンも、いまでは全然弾けない。
私は極端なのかもしれないけれど、骨身にしみるほどやり続けたものほどいったん中断するともうすっかり忘れたり、再開するきっかけを失ってしまう。

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