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久しぶりの日記、庭ツアー、長いながい旅

そんなに早いとは言えない時間に目覚めた。
昨日のうちにすっきり片付けておいた台所を眺める。
いままでの家とは違う光。
まだなんだかどこか他所の家に来ているような気持ちだ。
おおよその物をこちらの家に運んでしまったからもうあっちの鳥の巣みたいにこぢんまりとした、ぎゅっと包まれているような部屋の生活に戻ることはない。
こちらに移動してきてもちろん楽しくて満足しているのだけれど、6年間の大半をすごしたあの空間のこもった空気や、あそこだからこそ必要だったちょっとした動作のこと、色んな不便さや、窓の外のトタン屋根をちゃっちゃっと爪を立てて跳ね回るカササギ、身を包むような台所、工夫がいっぱいだった植物棚、体に合わせて椅子の足を切ったこと…そういうなにもかもが懐かしくて、もう戻っては来ないのだと思うと胸がきゅうっとする。
私はいつもこうして過去に戻ってゆく。
からだはまったくの今に存在しているはずなのに、気持ちや感覚のほうは少しその後ろを遅れてついていく。または遠く引き離れて遠い時間の隙間にまろび出る。

午前中は客人に庭の植物のことを丁寧に教えてもらった。
たくさんの興味深い植物がここにはあるのでなるべく元気なまま保ちたい。
私は植物が好きだが、私の手元で生き残る植物はいつもとても強いものばかりだ。
たいてい水をやりすぎるか、陽に当てすぎる。もしくは冬の寒さを忘れて凍えさせてしまう。
観察力が足りないのだ。
だからそこを乗り越えて生き残った植物はいつのまにかぐんぐんと、今までの鳥の巣にはとても収まりきれないほどに成長していた。
ここの庭は手入れをほとんどしなくても自生してくれる植物ばかりなのだそうだ。今水分が足りなくて少し元気のない木々たちも、これから雨が降って秋が深まればあおあおとしてくるそう。
庭には日当たりによって小さな気候区分がある。ほとんど陽の当たらない場所が好きですくすく育つシダや、風が通って陽が当たる地中海性気候に近い場所にはその土地の植物が、日陰には山に生える花が、竹は3種類も生えていてどんどん陣地を増やしてしまうやつは時々切ってあげた方が良い、冬にも色が楽しめるように実の色の楽しいもの、ムラサキシキブや蝋梅、萩、山百合、マンサクなど日本の植物も…まだ頭の中が整理できていないけれど、わくわくしている。
植物の手入れというものがそんなには上手じゃない自覚はあるので多少の懸念はあるけれど、良い機会だから少しは勉強したり、観察したりして楽しみたい。
今日はいくつか無花果の実も取れた。
もっと一斉に熟れるものかと思っていたが、ぽつぽつと順番に熟れるので、友達を大勢呼んで摘み取り大会ができる感じではない。みんなで収穫祭をしてジャムを作るビジョンが頭の中にできていたんだけれどな…。
でもぽつぽつ収穫したものを機会があればお土産にしたりもできる。
フランスで一番おいしい品種の無花果なのだそうだ。

無花果を収穫するためにはとうぜん木に登る必要があるのだが、私が木に登ろうとしたらカチューシャ(近所の猫)がじっと無花果の葉っぱの裏と同じ色の目で見つめてきた。
木登りのプロに見つめられながら登るのはちょっと緊張した。
無花果の木は弾力があるので、私の体重に応えるように枝先がしなって、足の裏に戻ってくる。
木登りなんて何年ぶりだろう。
子供の頃は自分の木を持っていて(勝手に公園の木をひとりじめして登っていただけ)毎日挨拶がてら登っていたのにな。

カチューシャはすぐに飽きて竹の木陰でうとうとしていた。
近くには3匹くらいネズミの死骸があった。
自然に任せた庭ではあるけれど、さすがにネズミの死骸を放置しておくわけにはいかないから片付けさせてもらうよ。

まだどことなく旅行に来ているような気持ちだ。
引っ越しの荷物運びや整理で日常が滞っているためなのだが、でもさかのぼって考えてみれば、外出制限のあった時期からほどなくしてバカンスシーズンになってこの引っ越し時期に繋がっているから、今年は長い春休み、夏休みの延長みたいに感じるのも無理からぬことかも。
年初はアイスランドにいたしそれもなんだかバカンスのような旅のようなものであった。
変な一年だな。

さもないことだけ書いて閉じようと思っていた日記なのに、時間をかけてしまった。
見直したりはしない。書きっぱなしで今日は終わろう。

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