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若者からの言葉 〜これまでの経験と回復〜

これはアマヤドリに声を届けてくれたある若者からの言葉です。
若者本人からの希望があり、全文を皆様にお届けいたします。

少しでも多くの方に声が届きますように。
そして、アマヤドリを必要としてくれている
すべての若者に届きますように。



「あなたは、虐待を受けているよ」

そういわれたら、あなたならどう思うだろうか。
私がそれを言われのは中学3年生になってすぐの15歳だった。

ある日を境に、私の生活は変わった。
虐待を受ける毎日から、ポンッっと引っ張り出されて、
違う生活がやってきた。

恐怖から安堵へ、そんな簡単な話ではなかった。

大きな生活の変化の中で当時の私はずっと、混乱の中にいた。

虐待を受けている最中も、そこから抜け出した後も。

虐待って、どういうことをされていたのか。
それを説明するのは簡単じゃない。

殴られたとか、怒鳴られたとか、そういう説明は、
決して間違いではないけど、本質ではないような気がする。

虐待の本質は、それが日常だってことだと思う。

日常を説明しろって言われても困るってこと。

「いや、毎日のことなので、別に、普通です。
 辛くないんで、私はそうされるだけの人間なので」

虐待を受けていると伝えられた後に私はこんな感じで答えていた。

異なった文化・価値観を持ち、異なった国からやってきた人たちのように、虐待を受けている人たちが過ごしている日常は、それだけ異質のものだってことだと思う。

逆に言えば、虐待を受けた人間からしたら、
受けていない人間は、異文化で生きている人間に見えるのかもしれない。


私には意味がわからなかった

私はずっと、温かい家庭を描いたアニメを見ても、意味が分からなかった。

どうしてみんなが笑っているのか、
お母さんが怒った後にどうして言い返しているのか、
どうしてあんな風に日常が描かれているのか、理解ができなかった。

「この世界は、安全という前提のもとに、
 安心を共通項として、コミュニケーションを行って成り立っている」

私がそれをなんとなく理解できたのは、大学生の頃だった。

15歳のころ、
周りの大人は私の過去を知ると、安心させようと優しく接してきた。
その優しさが、怖くて、不気味で、気持ち悪かった。

大変だったね。
辛かったね。
頑張ったね。

その意味が分からなかった。
今までの生活しか知らないから、分からなかった。

あの環境から抜け出せば、辛いことはないと思っていたのに、
どうやらそんな簡単な話ではなかった。

辛くて苦しくて、どうにか楽になりたかった。
でも、楽になろうとすると、心と体がそれを拒絶する。
安心することを危険だとみなす。

この矛盾の中でもがいていた。


回復、「気づいていく」ということ

どうやって回復したか。
いや、今だって、完全に回復したわけではないのだけど。

もちろん、医療に頼った。薬も飲んだしカウンセリングもうけた。

だけど、これっていう特効薬はなくて、特別な治療法もない。

時間をかけて、いろんな人とかかわって、
苦しみながら試行錯誤していくしかないのだと思う。

幸せになりたい。けどなりたくない。
楽になりたい。でもそんなのは嫌だ。

優しくしてほしい、
でも優しくなんてしないで。

痛い思いはしたくない、
だけどもう、
殴ってくれよ、
こんなに苦しいんだから。

誰かに分かってほしい、
けどお前らになんか分かるわけない。

もう生きていたくない。
でも死ぬのも怖いんだ。
ああ、家に帰りたいな、何されるかは分からないけど。

そんなことを繰り返しながら、傷つきながら、
進んでいくしかないのだと思う。

そうする中で、少しずつ

言葉を発していいんだ。
動いていいんだ。
笑っていいんだ。
ご飯を食べていいんだ。
おいしいって言っていいんだ。
あれをしても、これをしても、怒鳴られないんだ、殴られないんだ。
眠っていいんだ。
触れていいんだ。
生きてていいんだ。
ここにいていいんだ。
自分が存在していることは、罪ではないんだ。

この世界は、
もしかしたら、
暖かいのかもしれない。

そういうことに気付いていく。

ああ、おいしいっていいな。
楽しいっていいな。
暖かいっていいな。
やわらかいっていいな。
いい香りがする、気持ちがいい。
誰かといる、でも危険じゃない。

みんな、こういう世界で生きていたんだ。

優しくて、暖かい世界で生きていたんだ。

そういうことに気付いていく。

それは同時に、残酷な事実に気付いていくことにもなる。

私たちが恐怖におびえていた時、隣の家では、暖かい布団の中で安心して、あの子は眠っていたのかもしれない。

もしかしたら私は、過酷な環境で育ったのかもしれない。

そのことに気付くのは、とてもとても辛いことだ。

自分が辛かったのだと、知ってしまう。

頑張ったね、辛かったね、あの頃そういわれた理由が、分かるようになる。

その事実を受け止めて、あの頃悲しめなかった分、
たくさん悲しむことも必要になる。
とても辛い作業だ。

痛かったこと、
寒かったこと、
悲しかったこと、
怖かったこと、
苦しかったこと、
寂しかったこと、
悔しかったこと、
耐え難かったあの毎日。

いろんな出来事を、感情を、思いだす。
長い時間をかけて、たくさんの涙を流して、消化していく。

この作業が、辛い。とても辛い。
こんな思いをするなら、
幸せになろうとなんて、しなければよかったとも思う。
あの家から抜け出さずにいたらよかった。
井の中の蛙は、大海なんて知らない方が幸せなんじゃないだろうか。

心は何度も、行ったり来たりを繰り返す。

きっと私たちはとっても弱くて、ボロボロで、
立っていることもままならない。

だけど反面、とっても強いのだとも思う。

だって、あれを生き延びたじゃないか。

あの時間を耐え抜いたじゃないか。

今日までこうやって、生きてきたじゃないか。

もう十分、頑張ってきた。よくやってきた。
それは自分自身が一番よくわかっていることじゃないか。

私は、私たちが可能性に満ちていることを知っている。

悲しみを感じ切った先に、
私たちにしか感じることができない活き活きとした世界が
広がっていることを知っている。

暖かい部屋で眠りにつけることが、どれほど幸福なことか知っている。
優しい人間関係の中で笑いあえることが、
涙が出るくらい愛おしい時間だって知っている。
今日、安心と安全の中にいられることが何にも代え難いものだってことを知っている。

私たちは、辛い経験をしなかった人のようになることはできない。
大きな心の傷をなかったことには出来ない。
だけど、生きていく道はあると信じたい。
私たちが私たちのままで、幸福になれる道があると信じたい。

本当に必要なのは、まずは安全な暮らし。
ただ、それを手に入れたとしても、
そこをすぐに安全だとは思えない

安全を安全と感じられること。安心できること。

心が、感じられること、人と繋がれること。

それが、回復につながると、信じている。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
若者の心の奥からの声が少しでも多くの人へ届きますように。

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