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【キョンちゃん】

 私はやぶれかぶれになってそこにいた。

 という設定でそこにいた。
 実際さんざんだった。好きな男に飲み屋に誘われてうきうきと1時間電車に揺られて行ったら好きな男含む男ばかり5人でしみじみしてて。何かと思ったらそれは好きな男の結婚記者会見みたいな飲み会で。はあ?????? 先に言えよ、言ってくれたら来なかったのに。いや結局は来ちまったんだろうが、心の準備というものがあるでしょうよ。乱れた情緒が漏れ出しそうになるのをとどめるために祝い酒と称して1ccたりとも祝ってない酒をあおった。

 チェーン居酒屋の名もなき「日本酒」は、ふいうちでもたらされた失恋と組み合わさって、ガラス片が喉を下っていくかのごとき飲み口だった。酔いによるオートモードで表面的な祝福の言葉を過不足なく差し出しながらお開きまでその席に座りつづけたが、いかにうわべだけの言葉であれ、口にするたびガラス片の大きさは増すみたいに感じられた。私が到着して空けられた席は好きな男の隣だった。この男の隣に座って嬉しくないのははじめてだった。いや、やっぱり嬉しかった。くそ。好きな男が好きな女と付き合っているのは知っていた。それにも十分なダメージを負っていたところ、たたみかけるように結婚。結婚?

 この好きな男、結婚を祝福されるために自ら飲み会を開くようなとんだ浮かれポンチと化した男、一時期は毎日私のアパートに来ていた。来ていたんだよ。たった1年前まで着替えも何着か置いて。光熱費も折半したくらい。付き合わなかった。やった後でうまく言い出せなかったのだ。向こうもそうなんだろうな、あれ、そうじゃないのかな、でも……、なーんてひとりで恋愛のウマみタップリのやきもきをぴえん顔で楽しんでいるうちに好きな男の足は遠のき、こんなことになってしまった。
 なってしまったなー、と帰りの山手線のホームで電車を何本か見送った。カモを探すためだった。カモはすぐに見つかった。

 まっすぐ帰りたくなかったのだ。私はもうちょっと自分を粗末に扱ってから帰りたかった。好きな男から中途半端に雑に扱われた私をちゃんと粗末に扱いきってから帰りたかった。さんざんな恋愛のあとではいつもこの手の欲求がわく。だけどどうしようもなく怠惰だから自分で何かするのは面倒くさくて手っ取り早く誰か私をすっげえ粗末に扱ってくれ。と思った。

 カモは2人の男たちだった。私のプチ破滅的な願いがぷーんと匂うのを嗅ぎつけてホイホイ寄ってきた、酒をぶらさげて。仮に男B・男Cとする。Bの持つビニールに透けている酒の趣味は……サイアク。そうこなくてはね。

 男Bの寮に行って飲むことになった。モノレールに乗っていくのだと言った。破滅的な欲望をぶら下げた私がチューハイとあからさまな性欲をぶら下げた男の部屋に着いていくためにのろのろしたモノレールの終電にスシ詰めになってるの、回りくどいなって思う。大変に私らしくてださくてうんざりしつつもちょっと面白くなってくる。なんだかんだ言っても根が愉快な人間だから。

 トイレとシャワーとベッドだけがあるその簡素な寮に到着しても、男B・男Cは私を粗末に扱うつもりはないみたいだった。ただちには。チューハイを飲みながらまだるっこしい会話をした。どこで飲んでたの。いつもどのへんで遊ぶの。
 あーあ。ふたりは友だち同士だから互いの目を気にして欲望をむきだしにはできないのだと気づく。それはそうか、期待外れだなと共感まじりに思った。がっかりだけど、期待以上に粗暴であった場合よりはましと考えることにした。やぶれかぶれとはいえ、やはり大怪我させられたりとか殺されたりとか、想像つかないけどもっとひどいことなんかもいやなのだ。
 私はかなり高望みというか、難しいものを望んでいるのかもしれない。ちょうどいい粗暴さ。ほどほどの自己虐待に手を貸してくれる都合の良い存在。なんだか萎えてきた。

 萎えてきたところで男たちには火がついた。互いの目を気にせず目の前の女に喰らいつくために9%のアルコールでは足りなかったが、午前3時が近づいたころ男Bのベッド下収納から紙巻きたばこが登場して状況が変わった。紙巻きの中身は言うまでもなくただのたばこじゃなかった。私は喫煙の習慣がなく煙を肺に入れる方法が分からずに、ほどなくふたりの顔に浮かんだ間抜けな表情を見てとるや、「しまった。置いていかれた」と思った。でも私なりに思いっきり吸い込んで息を止めたのに。あれは本当にラリるような何かだったのか? 単に男B・男Cに「俺たちはラリっています(ので乱れた行為をします)!」という口実を与えるためだけの、ただの紙巻きたばこだったのかもしれない。少なくともB・Cは自分たちがラリっていると信じていたようだったが。私はだらしない顔をしたふたりと交わった。ふたりは酒のせいか草(?)のせいか達しづらくなっていたようだ。長期戦となった。

「ヤバい、この子ヤバいよぉ」
 挿入中のBが言った。ずいぶん気持ちいいらしいけどその動きは鈍く、単調で、それじゃあ私はもとより君もイケんでしょう。がんばれ! がんばれえ! と、私もエールを送る意味で腰を使いながら、「まあ、これで目的は果たせたわけだ」と満足に思おうとして過ごした。およそ2時間半。時計見て計っちゃうような時間。半分くらいは寝たふりをした。どんなに神経を集中させても私の身体に興奮している部分は見当たらなくて、そのことにはちょっと興奮していた。

 ダークな欲望をしっかり満たされた私は始発の時間にパキッと目覚め焼け野原のドラム缶よろしく転がっているBとCをすり抜け元気に宿舎を飛び出、すところまでは順調だったのが、玄関まで這ってきた男Cにつかまった。つかまったというのは文字通り足首をつかまれたので、跳び上がった。が、ここでもLINEの連絡先を教えて素早く去った。

 そしてまたモノレール。知らないしこれからも関わらない街の朝の、高い位置を通り過ぎながら男Aのことを考えた。男A、私でない誰かと結婚する私の好きな男。私のAはこの好きな男で置き換え不可。B以降は入れ替わる。昨晩のような行きずりであれ、恋人であってさえも。不思議とB以降に困ったことがない。嬉しいけどそうじゃない。本当に欲すること、手に入らなさすぎる。そう思わん?

《うん。……そうだね》

 私の感傷がノッてきて気持ちよく話しているところに男がもったりとした思慮深い声を出して水を差す。チッ。
 まさにこの前まで男Bだった元彼がその夜かけてきた通話でのことだ。
 この人とは付き合う前からたくさん会話をしてきた。たくさん会話できるところ、好きだった。自分のことを棚に上げがちではあるがなかなか鋭いことを言うし。ふたつ歳上。実家暮らしが玉に瑕。押し切られる形で付き合って押し切る形で別れたあとも時々スマホに通話をかけてきて、再び口説くでもなく最近考えたことなんかを共有してくる。読んだ本や、観た演劇、ニュースのトピックについて。何がしたいんだ? って思うけど、普通にまだ私のこと好きなんだろうと思う。ちょっとかたくさんかはわからないけど。私はその好意を心地よく思う。好きな男を追うばかりでここまできたから少しは追われるとか、わけもわからず好かれるとか、してみたかった。だからこうしてこの人から電話があれば出るし、長話もする。たまには外で会って食事もする。この間いっしょに行った店の鍋はおいしかった。私が元彼と築くにしてはそこそこ良好な関係を保っている。しかしうらぶれた夜について語る相手としては人選ミスだったかもしれない。
 わたしは股関節ストレッチの姿勢から布団にどてーんとひっくり返り、ロフトの天井に顔文字を描く。
 ( ^ω^ )
 おかあさんからのLINEの語尾にいつもついてる古代文字。

「こっちの話ばっかしちゃってごめん。えーと、そちらはどうなの。好きな人とか、付き合ってる人とか」
《私は》彼は一度止まった。
《私は、付き合ってた相手にそういう話はあまりしたくないかな》
 うわあー! いやみだ!

 (>_<)

 この人は一人称が私なのだった。そもそも一人称を多用しない話し方をするから、登場するたび新鮮な驚きがある。どういう生育環境で来たら一人称私の成人男性が育ち上がるのか。興味深い。一度この人の父親に会う機会があったけど、一人称は普通に「俺」だった。ますます興味深い。この興味深さもあって付き合っていたような気もする。恋愛の盛り上がる局面での決断をほとんど酒に酔った状態でしているから決め手というものがあいまいだ。あえていうなら決め手はアルコールということになるのか。別れの場面はいつもしらふなのに。

 LINEに通知が入る。昨晩の男Cからメッセージ。ブロックする。連絡先を訊かれたら、交換して、ブロック。そうするのが一番スムーズだよと教えてくれたのはミナちゃんだ。
「わかってる、キョンちゃん? ワンナイトの相手に別れ際しつこく絡まれたら、『LINEで連絡先を交換してブロック、LINEで連絡先を交換してブロック』だよ」
 妙にうつろな言い方をするから何かと思えば、碇シンジのマネらしい。
 ミナちゃんに言わせると私は酔って出歩く先々で素性のわからない男と寝るくせに警戒心に欠けるから心配、とのことだが、絶対面白がっていると思う。ミナちゃんにも昨晩の話、したい気がする。

 ブロックの動作をする間、通話から耳を離していた。相手が何か話した気配がして、復帰する。
「ごめん。なんて?」
《まだそこにいる?》
「うん?」
《まだそこにいる? って言ったの》
「あー」
 英語の言い回しか。
「あのさ、ミナちゃんおぼえてる?」
《おぼえてるよ。忘れるわけない》
「そうなの?」
《ライブ来てくれたし》
「ああ」
《ミナさんがどうかした?》
「ミナちゃんがときどき店番してる店があって。ゴールデン街の小さいバー。まだ行けてないんだけどさ。この話、したっけ?」
《いや初耳だけど》
「うん。ちょうど今日、その店番の日だなあと思って。無性にミナちゃんと話したいし、行こうかなって」
 だから通話切るね。の意である。
《え。ゴールデン街。私も行こうかな》
「は?」
《え。ミナさん、ひさびさに会いたいし》
「いや、そっちから電車……あるか。でも終電くらいじゃない? 帰れんの」
《明日シフト休みだし大丈夫》
「そうなんだ。えー」
⦅えーって⦆
「いや、いいんだけどさあ。すごい前のめりじゃん。あれ? でもそういや、ミナちゃんもやたらきみの話、してた」
《え、なんで》
「知らんよ。気に入ったんじゃん」

 実際、この人が彼氏だったとき、私の友人たちからの支持がダントツで厚かった。というか交際を友人たちに支持されるという経験、この人のときにはじめてした。別れたと言うと、ミナちゃんに限らず周囲から繰り返し残念がられた。あのときは辟易した。総じて、私があんまり入れ込まなかった彼氏ほど女友だちの印象は良いという傾向にある。
 ちなみに男Aの評判はボロクソ。ミナちゃんなんて一度会ったとき、あからさまにAを睨みつけていた。あれは気まずかった。ふたりは初対面で5分ほど同席していただけなのに、何をそんなにきらうところがあるのかと不思議だった。顔がきらいだったんだろうか。ミナちゃんはとくに面喰いなわけでもなかったと思うけど。
 ま、あの人の良さってわかりにくいしね。後でミナちゃんとふたりになったとき、私がつとめて明るくそう言うと、ミナちゃんは珍しくため息をついた。深いところから出た感じがする立派なため息だった。


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つづく

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