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●2022年10月の日記

10月1日(土)

洗濯機を2回まわすのと並行して半年前に購入以降ほぼ毎日背負っているバックパックのジッパーというジッパーを全開にして手洗いした。洗う前に取り扱い表示も確認したが全ての洗濯方法のマークにバツ印がついていたから見て見ぬふりを決め込むことに。ぬるい水に中性洗剤を溶かしてジャブジャブ。脱水もかけて陰干ししたバックパックをよく観察しても特にダメージは見られなかった。何にかはわからないが、勝った。

全ての洗濯物を干し終えたあとは新しい古着(?)のワンピースを試着して鏡の前で盛り上がった。試着のつもりがワンピースのまま徒歩で大きな図書館に出かけ汗をかいて帰ってきた。秋ものを着るには今日の陽気は夏すぎた。図書館からは予約していた武田砂鉄『紋切型社会』を借りてきた。

夜にさっそく読みはじめた。最初から面白い。武田砂鉄の文章、すごくネチネチしているのに(そのネチネチが好きなところだ)、ひとつも無駄な語が使われていないのだなあと気がつく。ネチネチと無駄がない、両立するんだ。編集者を経た人の文章こえー。

10月2日(日)

子どもの通う幼稚園と関係のある教会の日曜礼拝に子どもと出かける。子どもは子どもの礼拝に出るというので、それを待つ間にわたしも一般向けの礼拝に出る。わたしはクリスチャンではないが教会の空気やオルガンの響きの中に身を置くのは気持ちよくて大好き。特に今日は壇上で聖歌を歌う女性の声の伸びが半端でなく、歌のうまい人は教会にいるのかと驚く(たぶんいろんなところにいるよ)。牧師の説教に耳を傾ける時間も好きだ。とはいえキリスト教世界の文脈に浸りたくない気分のときもある。その場合はただ牧師特有の響きのよい声音に身体を浸すだけにする。姿勢を正して薄く目を閉じ、意味を心に入れず、ただそこに静止している。水風呂の中にいるときのように。なにもガマンしてそこにいるわけではない。この世のあらゆる場所のうちでも水風呂にいるときがいちばん気持ちいいのだ。わたしは水風呂ガチ勢だ。

礼拝を経て少しばかり整った心持ちのわたしが、同じく礼拝を終えた子どもと合流したその足で、どこに向かうかといえばマックであった。マクドナルド。ハッピーセットを買いに行く約束なのだ。子どもはもうそのつもりで浮き足だっている。浮き足だっているせいで、牧師の妻に「あら。どこか行かれるの?」とにこにこ呼びとめられる。わたしは逃げられずに「あの、マクドナルドです」と答える。
「まあ…。私も好きよ。朝マックが好き!」と牧師の妻は言う。神に祈るときに近い手の組み方で「特別な時間よね。マクドナルドにいるときって」と彼女は続け、この日の教会でいちばん心打たれたかもしれない。自分や、自分の子が好きなものを恥じてはいけなかったのだ。わたしはつまんないことばかり気にしている。

10月3日(月)

ミルクシチューを作ってから仕事に出かけた。今日は夕方から夜にかけて仕事があり、子どもの迎えと帰宅後のあれこれは夫任せだから、彼らの夕飯になるものをと用意した。しかし何度調整しても意図した味にならないので4皿も味見してしまった。

仕事から帰ったらかなり減っていたから子どもと夫には普通に美味しかったっぽい。たぶんわたしのミルクシチューへの期待値が高すぎる。わたしの作ったミルクシチューは常にミラクル美味しくあれ。

10月4日(火)

仕事終わりに高円寺で古着と箸を買った。荷物がかなり重くなってしまった。そのまま子どもを迎えに行くと子どもは今日の制作物と共にいた。牛乳パックをつなげて色づけした列車はクールだがそこそこでかい。持ち帰るのか?ヒエー。
同じ時間に帰る姉妹がいて、子どもはいつの間にか彼女らと「ガストいく!」という話になっていた。えー、と言いつつもこれから帰って食事を用意する気力のないわたしたち母は子どもらに導かれるままガストにスゥッ…。と吸い込まれていった。姉妹の母は席に着くなり光の速さでビールのクーポンを見つけてわたしにもシェアしてくれた。好きになっちゃう。もう好き。乾杯。

10月24日(月)

夕方、雨が止んだ。幼稚園で子どもと落ちあって、朝やくそくした通りにおもちゃ屋に連れだっていった。1000えんまでのおもちゃを買ってあげる。そう言った。子どもが悩みぬいてえらんだのは600えんの商品で、つつましい人だな、とおもった。
歩いて家にかえった。子どもの足で30分の距離、彼は長ぐつだし、途中で歩けないと言いだすかとおもったけれど、手に提げたおもちゃを開けるたのしみのためにずんずん歩いた。
晩ごはんは作りおきのミートソースのさいごのひとつを溶かしてゆでたスパゲッティにどっさりかけた。おいしかった。冷凍庫にミートソースのストックがあるゆたかな生活がおわりをつげた。

10月25日(火)

早起きの日。這いずるように布団の部屋を抜け出してアーとかウーとか言いながらシャワーを浴びていると、「おかあさーん?なんでひとりで入ってんのー?」と子どもが起きてきてすりガラスごしに言った。「え。いっしょに入る?」「入んないけどさー」入んないのか。

原宿で仕事。イケアで昼食。それから渋谷区役所まで歩き、戸籍抄本を1通取った。資格証を作ってもらうにあたり併記したい旧姓の証明に必要なものだ。煩わしい。

寄り道はヒカリエ。8階の渋谷○○書店で本を買った。古い文庫本。パラパラ見てたら餃子屋のショップカードが出てきたのが良くて。栞に使っていたのかな。

10月26日(水)

エビの練り物と豆腐のとろとろ煮と、揚げ焼き鶏むね肉の甘酢あん絡めを作った。良質なたんぱく質を豊富に含むすてきな献立ではあるが、わたしはこれらを暴飲暴食してしまったのでつらい。家族の寝静まった夜中に暗いリビングで腹が満たされるまでもそもそ食べた。大人になっても夜中にこそこそ冷蔵庫開けてるなんて思いもしなかった。

10月27日(木)

帰るとき、本を読むためにバスに乗った。以前は揺れる車内で文字に集中すると必ず酔っていたものだが、ここ数年で平気になっているのに気がついた。バスの性能が向上したのか、わたしの三半規管がドンカンになったのか。
読んでいたのは佐藤愛子『その時がきた』。むかしの文庫本で文字が小さくフォントも独特だ。奥付を見ると昭和50年ごろの発行とあり、わたしが生まれるよりも前に綴じられた本。

昨日湧きあがった暴飲暴食したいという欲望が消えず、いつもよりひとつ手前のバス停で降りてクレープを買い、帰宅するなり大量の牛乳とともに食べ、満たされず、夫が買ったあんころ餅、鶏むね肉のおかず、と目につく食べものを食べ尽くしてもまだ満たされないのに悲しくなって寝室に引きあげてきた。

10月28日(金)

近ごろどうにも気持ちが落ち込みがちだ。ここはひとつ、とんでもなく辛いものでも食べて元気を出そうと思い立って池袋にある中国・台湾料理のフードコート(日本の舌向けではない)にフラフラ立ち入ってみた。入るなり食品や調味料の独特の匂いにガツンとやられ頭がクラクラしだして気持ちよかった。四川料理店でどんな料理なのか正確にはつかめないまま指さし注文。予想をはるかに超えて辛そうな麺が出てきたが、これまた予想を軽々と超えた美味さのせいで、辛さにマジ泣きしながらも箸が止まらないというはじめての経験をした。あんなに辛くて美味しいものがあるんだ。麻で辣で美味でありました。

香りだけで辛い

夜、子どもがめずらしく指をもぐもぐなめているのを見て思わず赤ちゃんのときと同じように「指おいし?」と声をかけた。赤ちゃんのときとちがって子どもは目を合わせてこくんと頷いてくれた。「おいしいんだね。どんな味?」「にんげんの味」。

きょう中華食材マーケットで買ってきたわたしの大好物であるところのサンザシを固めたお菓子、子どもも気に入ってくれてうれしかった。

10月29日(土)

夫が子どもを連れて彼の両親の家に出かけていったあと、ホットカーペットを出した。明日彼らが帰ってきたら「うおーっホカペだー!」となるといい。いや、彼らはホカペの登場にあたってそんなに歓喜しない。ホカペを愛してやまないのはわたしである。

夕方から仕事に出た。仕事が終わると急いで東京駅に向かい、最終の新幹線に何とか乗れた。静岡県へ。明日の朝一から静岡で仕事なのだ。朝早くの新幹線に乗れる自信がなく、前乗りしてしまうことにしたのだ。久しぶりの出張にウキウキしているのもある。

宿へのチェックインは25時。コンビニで調達した食べものの袋をさげて目を伏せ早足で繁華街を突っ切った。うっかり入りたい居酒屋なんかと目が合わないようにするためだ。ホテルのフロントにたどり着いたときにはひとつの競技を終えたかのような充実感があった。ふぅ〜危なかった〜
。さながら夜のハードル走である。

10月30日(日)

場末のビジネスホテルでひとり目覚めるの久しぶりすぎた。飾り気のないカーテン開けても窓が小さすぎるのと周りが建物に囲まれているので大して明るさは入らない。出張だ。わたしは今、出張をしている。感動がしみじみと身体をかけめぐるのを感じた。

サービスのコーヒー持ってちょっと早めにチェックアウトして、仕事前のほぐしも兼ねて朝の散歩としけこんだ。

強めのメッセージ
飲み屋横丁の朝
おでんの横丁だって。今度はヨル来たいねえぇぇ
でかいトライアングルだ!



仕事の休憩時間にはお茶を出してもらえて、そのお茶がなんともおいしいのがさすが静岡だねぇ(まるちゃん口調)だった。
みかんをもらったのも静岡感たっぷり。リュックがずっしり重くなった。こういう重くなりかたは好きである。駅で「しぞ〜かおでん」を買って更なる重みを増して帰った。

10月31日(月)

朝食の際にイクラごはんを食べたいと子どもに泣かれた。イクラはない。特別にお昼のあいだに買っておくから夜食べるのはどう?と提案するも今食べたい後じゃいやだそうなのだ。火に油を注ぐとはこのことかと思うくらいにますます泣かれ、そんな彼をどうにかこうにか説得し幼稚園に連れていったあとには一日分疲れていた。
しかしイクラは買わねばならぬ。イクライクラ言っているうちにわたしも食べたくなったのもある。スーパーに寄って鮮魚コーナー周辺でまごついていると(わたしはスーパーでの素早い動作というものがどうしてもできない)、金髪のカツラにセーラー服とルーズソックスを着用した男性が品出しする姿が視界に入った。二拍ほど置いてびっくりした。さらに二拍置いて「あ、今日はハロウィーンか」と気づいた。他にもマヨネーズに扮している店員を見かけた。
このスーパーを出るとき気づけばなぜだか牛スジを2パック買っていた。この地域では一定量以上の牛スジを見かけることが珍しいから嬉しかったのだろう。嬉しかったのはわかるが。わたしはぐったりしているのに牛スジカレーを作るはめになった。ちなみにイクラは別の店で買った。

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