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四月

上旬、誕生日を迎える前の晩に高熱を出した。熱っぽいと感じてはいたが、体温計の39.5℃の表示を見たときは目がおかしくなったのかと思った。次に体温計がおかしくなったのかと思った。どちらも正常だった。

熱が上がりきった人間の変な興奮状態の中、0時がきて、私の齢はひとつ増えた。わー。

翌朝には魔法みたいに平熱ちかくまで体温が下がっていた。なんだったんだという感じだった。医者にいくと風邪のなおりかけと言われた。はやりの疫病ではなさそうでほっとしたもののしんどさは続き、数日間、ひとりでいられる時間は和室のふとんの上で過ごした。

そのころ、ちょうど辺りの桜がしっかりと散りおわったころだった。入れ替わるように、和室の窓から見える名前を知らない木には若葉が萌えはじめていた。緑というよりは茶色に近い、きれいとは言いがたいが不思議な透明感のある若葉が、枝先にだけ、ヨボヨボと、とでも言うのがいちばんしっくりくる頼りないようすで揺れていた。
それが私の寝ている数日の間に、緑の質を変化させ、こちらから木の向こう側の景色を見通せないほどに葉を繁らせるようになったので、体を横たえながら窓の外に見るそのあまりの爆発的な、生命力! という感じに私はぼうぜんとしてしまった。こちらは弱っているからなおさら。

ほんとうは寝ている場合ではなかった。下旬に資格試験を控えていて、この時期にはバリバリと過去問など解いているつもりだったのだ。机に向かって問題用紙を見つめる姿勢は何度やっても激しい咳の発作を必ずもたらしたのであきらめて横になっていた。それで、爆発的に得点力を上げられた…かもしれない大事な数日間がただ通り過ぎていく。窓に緑が増していくのを眺めているだけで。強い薬は咳発作をいくらかなだめてくれるけれど頭がぼんやりして、今まで覚えた試験向きの知識ひとつひとつに靄がかかり、そのまま消えていくのが見える気がした。

ようやく薬がいらなくなったのは中旬で、そうなったらもう私は髪ふりみだして勉強しようと思っていたのに、いざ勉強不足の状態で試験直前まできてしまうといっそすがすがしい気持ちになっていた。あがいて詰め込んでも仕方ないなというか、今持っているもので試されるしかないよなあという、境地。いや、肝がすわっている場合ではないのだが?

こういう受験前の心の動きは懐かしかった。試験間近で変に落ち着いてしまうところとか、学生時分のテスト前や、大学受験のときもまるで同じだったなあと思った。なんなら学習の仕方だってそのころから全くアップデートされていない。私は自分の字で紙に書きつけないと何も覚えられない(と思い込んでいる)ため、この半年間はひたすらにルーズリーフを消費した。ルーズリーフという紙も懐かしかった。

試験当日、大学の講堂で受験番号のシールが貼られた席に座ると、ななめ前の席の女性の受験票が見えて、そこに記されている誕生日は私の誕生日と同じだった。あら…と思って生年を見ると、彼女は私のちょうど14年後に生まれたことがわかった。そうか、私の14年後に生まれた人がもう大人なのか、と今更に驚いてしまった。自分が大人であるという認識が、私にはいつまでも育ちきらないところがある。

試験はマークシート式で、えんぴつで数字を塗りつぶすのはそれこそ14年ぶりとかだなあと思った。

2日間の試験が終わって外に出ると雨がざああと降っていて、この解放感のなか雨に打たれて帰るのも悪くないなと思った(いわゆる『ショーシャンクの空』状態)。予想以上に雨は大粒で、気持ちいいというよりは執拗で、「ちょ…やめろ!」となって結局セブンイレブンで良い値段のビニール傘を買った。もうそこそこ濡れていた。

翌日、図書館に行って思うまま本を借りあさった。読むものといえば参考書ばかりだったこの数ヶ月のあいだに読みたい本が溜まっていた。登山にも行けるバックパックを背負っていき、それを2泊3日の旅行時より重くしてほくほく顔で帰ってきた。

意外と読まなかった。

料理ははかどるようになった。台所で手間のかかることが無性にしたくて、たけのこを買って茹でたりなどした。旬のうちに2回茹でることができてよかった。

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