【追悼】拝啓、野村克也様

偉大な野球人の旅立ちがこれほど唐突なものになるとは想像ができなかった。野村克也氏の訃報には、悲しみや驚きよりも喪失感がある。面識があるわけでもないが、当たり前のようにいる存在だっただけに、正直いまだに混乱している。

選手や監督、評論家における活躍は周知のとおりだ。その実績についての説明はここでは割愛する。その代わり、野村氏が我々にもたらしたものを紹介したい。

「野村ID野球」「野村スコープ」

これらのフレーズを聞いたことはある方は多いだろう。この二つは、後に野球界の人間だけではなく、ただの野球ファンにも革命をもたらしたのではないだろうか。

「野村ID野球」は野村氏がヤクルトの監督を務めていた頃に広まったもので、端的に言うと経験や勘だけに頼るのではなく、データや傾向に基づいた配球や打撃を行う野球のことである。「野村スコープ」は、評論家時代にストライクゾーンを9分割し、捕手目線でバッテリーの配球の解説をしたことの総称をここでは指したい。

これらがなければ、野球は実際にプレーするか、球場でライブの雰囲気を味わう以外での楽しみがファンにもたらされることは無かったはずだ。多くの方にとって、プロ野球と一番接する機会が多いのは、実際にプレーすることでもなく、球場観戦することでもなく、お茶の間にいる時と推測される。まして、野村スコープが誕生した1980年代のお茶の間におけるプロ野球の地位を考えると想像に難くはない。

野村氏のもたらした革命は、お茶の間での野球観戦に新たな楽しみをもたらしただけではなく、多くの「お茶の間野球評論家」の地位向上に繋げたと言ってもよい。野球は決して上手ではなくても、野球を観るのが好きな野球好きや、クラスに1人はいた「異様に詳しいヤツ」はこのおかげで大きな顔をして生きることができていたと思う。

単に球を投げて、棒で打ち返すスポーツにチェスや将棋のような面白さがあることを知って、能力面で頭打ちにあった野球を嫌いにならなかった方は一定数いたのではないだろうか。野球が運動能力の優れた一部の人間のものにならなかった功績は大きい。

また、野村ID野球によって市井に広まった野球の常識やセオリー、格言は今の時代にも生き続けており、試合中のあらゆる局面で何が起こるかを事前に想定することが当たり前のようにできるようになった。そして今後は、隆盛を極める「ビッグデータベースボール」の中での新たな発見と、野村氏の理論を擦り合わせて納得したり、驚いたりすることが増えることだろう。

だからこそ、「ノムさん」に聞きたい。ビッグデータを用いた野球は、野球の発展をもたらすのか、それとも衰退に繋がってしまうのか。あらゆる事象が客観視されて、埋もれていた才能が表に出ることができるようになりやすくはなる。しかしながら、既に存在する最適解に従って行動した野球は、「考える」ことを放棄してしまうのではないか。

戦後から平成のプロ野球を全うした、ノムさんが新しい時代の野球をボヤく機会がこの世に無いのが残念でならない。

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