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『海道の城 松倉重政伝』について

梅も見ごろのこのごろ、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
こちらは長編新作の準備をしつつ、日々の仕事にこなしつつ、花粉に目鼻をやられつつと、早春の日常を過ごしています。

さて。
先日来、島原城公式ホームページならびにnote上で順次公開してきました『海道の城 松倉重政伝』が2月末に完結しました。
少し時間が空きましたが、今回はこちらのお話を。

本作は、お城の管理をはじめ島原市の観光プロモーションなどを手掛ける「島原市観光ビューロー」さんのご依頼で執筆した作品です。2024年に築城400年を迎える島原城、その記念事業の一環として、一連のイベントのバックストーリーとなる小説をと、ヒストリンクさん経由でお声掛けいただきました。

もともとはショートショートとなる予定でしたが、現地での取材や地元の皆さんの思いに触れたことを踏まえ、より厚みを増やして短編小説として仕上げたものです。
すでにお読みの皆さんには、お楽しみいただけたでしょうか。

島原城というと、すぐに出てくるのはもちろん「島原の乱」。江戸幕府が支配体制を固めるなかで起きた、最後の庶民による武力闘争とも呼ばれます。
その原因としてよく言われるのが、「新たに入部した藩主の松倉重政・勝家父子による苛政と切支丹弾圧への反発から起こった」というものです。

私自身もそのイメージがありましたので、築城周年記念=お祝い事で扱うのは、正直難しいのではないかと思ったわけです。

とはいえ。そもそも島原城や築城主・松倉重政について、言い方はあれですが、よくあるイメージ以上のことを知らないし、調べたこともなかったなと。
知識をアップデートする意味でも、現在の研究では乱をどんな風に捉えているか、というところから取り組むことにしました。

そんななかの2023年6月、島原観光ビューローさんのお招きで、現地取材に向かいました。
大阪から島原への移動手段をいろいろ調べると、意外にも新幹線で熊本まで行き、そこから船便で島原に入るのがスムーズ。というわけで、熊本港から島原港行きのフェリーに乗り込み島原へ、旧名では豊前国高来へと向かったのでした。

そのときの写真です。

島原港から雲仙を望む

今作の方向性を決定づけたのは、やはりこの空と山の色彩だったような気がします。
この日は初夏の晴天。晴れ渡る空の蒼さが鮮烈で、目が眩むほどでした。逃げ込むように船に入り、窓越しに宇土から天草を見ながら波に揺られること約30分。甲板に出た私を迎えたのが、先程の光景でした。

そしてもうひとつ決め手になったのが、地域の皆さんの思いです。
築城400年を盛り上げようという熱意に満ちた観光ビューローの皆さん。
城と街とに誇りをもって地元の活性化に取り組む有志の皆さん。
そして、地道に丹念に地域史の研究を続けられた郷土史家・松尾卓次さまに感謝を述べるとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。

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