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味酒安行と牛。(『あるじなしとて』)

天満宮に行くと必ず見かける「撫で牛」。

参拝の皆さんに撫でられまくっているおかげで、ぴかぴかでつるつるの子が多いですね。
頭を撫でると天神さんが知恵を授けてくれる、とか。あるいは、身体の悪いところを撫でると不調を治してくれる、とか。

いろんな言われかたをしますが、そもそもなんで"天満宮に牛"なのか。
今回は、そのあたりをお伝えしつつ、拙作『あるじなしとて』のサブ主人公・味酒安行(うまさけのやすゆき)のお話をしたいと思います。

天満宮と牛。
もちろん、そこにはご祭神である菅原道真とのご縁があるわけですが、天神信仰が盛んになったあとの付会もあって、いろんな説が言われています。
曰く、道真が丑年生まれ、命日が丑の日、牛に懐かれた、牛に守られた……などなど。

そうしたお話のなかのひとつに、こんな言い伝えがあります。

「昌泰の変」により、道真は大宰府へ左遷されることになりました。しかも、旅費も馬も与えてはならず、伴もひとりしか許されないという過酷な沙汰さえ課せられたと言います。

さらに大宰府でも、政務に関わることを禁じられ、俸給も与えられないという厳しさでした。あばら家同然の小さな官舎(現在の榎社)こそ与えられましたが、不自由な身のまま、生計を立てることもできません。

その旅に付き従ったのが、弟子のひとりであった味酒安行でした。

彼は老身の師のために、何とか暮らしを立てようと奔走。身のまわりの世話はもちろん、食料や生活必需品の確保など、懸命に師を支えました。
しかし左遷から2年後、道真は病を得て、ついに亡くなってしまいます。

安行は道真の死去を大宰府に報告すると、師を葬るべく、牛車でその亡骸を運んでいきます。やがて、府内のある場所まで来ると、牛はその場に座り込んで動かなくなりました。

押しても引いても、いくら待っても牛が動く気配はありません。
そのさまをじっと見つめ、

「……ここがよろしいのですね、お師様」

そう安行が言ったかどうか。
そうして、安行はそこを墓所として道真を葬って安楽寺とすると、祀廟を建てて師の弔いに終世をかけたと伝わります。

その祀廟こそ、現在までつづく太宰府天満宮の起源となりました。
そして、この逸話をもとに、天満宮では道真の神使として臥牛を祀るようになった…と言います。

さて。
拙作『あるじなしとて』執筆のため、方々の天満宮にお詣りしましたが、各地の牛さんなかなか個性的。しっとりした眼差しの子から、やけにやる気に満ちた子まで、本当にいろいろですね。

ただ、そうして見ていると、この牛は安行のひた向きさ、真面目さを表しているようにも思えます。
忠義ともちがう、師の思いをひたすらに汲み取ろうとしつづけた彼の姿。それが、本作における味酒安行のモチーフになりました。

そして。

いまでも、太宰府天満宮には味酒(みさけ)さんという神職さんがいらっしゃいます。そう、安行の子孫という方です。
そんなふうに、安行の思いが現代にまで受け継がれているということを、天満宮で臥牛をお見掛けの際に思い出していただければ幸いです。

菅原院天満宮の臥牛。なかなかのやる気

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