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#私を構成する5つのマンガ

Twitterでもやってみたけど、少し時間を空けてnoteでも。

①『ベルサイユのばら』
私が物心ついて初めて読んだ少女漫画です。アントワネット様の気高さも、フェルゼンの貴公子っぷりも、オスカル様の尊さも全て私にダウンロードされてしまいました。流れに乗れない人にイラっとしたときは「歴史の歯車に逆らうものは滅びるということが理解できなかったアントワネットになりたいというわけなの?!」と心の中でひっそり罵り、血気盛んな市民を前にすると「自由、平等、博愛」とつぶやき、7月14日には「フランス…ば…ん…ざ…い」と念じます。ベルばらは永遠なのです。
ほんとは『オルフェウスの窓』も大好きなんですが。オル窓にハマって大学生の時にレーゲンスブルクもバルハラ神殿も行き、現地でオル窓オタクの方々にもお会いしちゃいました(偶然にも)。オル窓だと私はとにかくアントニーナが大好き。エキセントリックな美女がすき。

②『ユンタームアリー』
木原敏江さんの『摩利と新吾』の番外編。本編も大好きですが、ユンタームアリーに登場するナターリアが美しくて残酷で高慢ぶりが国宝級で、しかもセンチメンタルという、木原敏江ワールドの真骨頂を味わえます。
「のたれ死にしたって わたくしの人生ですわ」
「あなたは誰にでもやさしいけれど それはあたなたにとってはとるにたらない……どうでもいいことだから」
「聞きたくありませんわ それはあなたの人生ですわ」
最高のヒロイン。傑作です。

③『あさきゆめみし』
源氏物語は色々読んだけれど、これはやっぱり外せない。コミックだから読みやすいという点もありますが、素晴らしいです。特に藤壺の女院が亡くなって桜が舞う場面。泣けます。少女漫画だからこそ描ける場面ではないでしょうか。
小学生の頃は素直になれない美女、葵上が好きでした。大学生の頃はやっぱり素直じゃない大君が好きでした。初老の今は、永遠の藤壺の存在感、どうしたって手に入らない、憧れ、という対象に胸が締め付けられる思いです。いつ読んでも、また違う感動がある。
宝塚の明日海りおさんの『新源氏物語』もすごーく好きです。宝塚の源氏物語かくありき、という説得力のある源氏物語でした。若菜からラストの御所へ、の流れが良いですね。
海老蔵が新之助だったころに歌舞伎座で演じた光源氏もありますが、その文化のその時代を代表する人が演じるもの、それが光源氏という存在なのでしょうか。
『いいね!光源氏くん』もスキです。

④『日出処の天子』
こんなに繰り返し読んだマンガもなかなかないんじゃないかと思うほど繰り返し読みました。一番好きな場面は厩戸皇子の布都姫への「死ねええええ!」と言いながら櫛を振り上げる場面。その時の厩戸皇子は揺るぎない殺意と嫉妬の塊でカッコイイと思いました……。当時、小学生か中学生だったんですが繰り返し読んで脳内ダウンロード。数年後、自転車こぎながらふと、毛人の「あの少女は、あの少女は間人媛さまに似ている……!」と嘆く場面の意味に気づいて、二重に驚きました。読んだときは意味を理解できなかったとしても、ダウンロードさえしてしまえば、その後、無意識ながらも脳内理解が進んでいくのだいうこと、そしてそこまで厩戸皇子がマザコンだったということに(いや、めっちゃそうなんですけど)。
理解に早すぎる時期に読んだとしてもその後ちゃんと理解できるので、マンガ読む早すぎるということはないです。そして理解できなかったとしても、良いマンガはしっかり読んでおいたほうが人生幸せだと思います。

⑤『ポーの一族』
傑作としか言いようがないし、語りつくせない。思いを馳せれば馳せるほど、広がるポーの世界。過去に還っていく場面の描写がたまらなく好きでしたが、宝塚版の『ポーの一族』を観たら、エドガーの生々しい感情と冷たい鋭さと攻撃性、そして美しさにガツンとやられて、ああ、そうか、この作品のど真ん中の魅力はこれか、再確認。もともと少年愛的なものにセンサーが働かないんですけど(イヤというより鈍い)、エドガーとアランの関係は魅力的なんだということがこんな私にもわかりました。イケコ、ありがとう。
読めば読むほど、打ちのめされます、この素晴らしさに。


古い少女漫画ばっかり挙げましたが、最近のものもなんとなく読んでます。最近のものだと『BEASTARS』とか。

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