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渡部昇一流『四書五経』の解釈 243

😈 悠々たる生活もよし (『論語』先進第一)

🌏 沂に浴し、舞雩(ぶう)に風して、詠じて帰らん。

これは孔子が弟子たちに「やりたいことを言え」と行った時に、
曾皙(そうせき)という弟子が答えた言葉である。

他の弟子が「自分は大臣になる」とか「大きな国の政治を司る」と
述べる中、曾皙という弟子は「ちょっと恥ずかしいのですが、春になったら晴れ着をつくって、召使いを連れて沂(き)という温泉に入って、舞雩という景色のいいところに行って、そして歌でも歌って帰りたいものです」と答えた。すると、
孔子はそれを咎めるわけでもなく、「私も本当はそれがいいんだ」と言ったのである。

悠々たる生活も、孔子は決して否定しなかった。
今で言えば温泉に行って、いい風景を眺めて、カラオケを歌って帰って来るということも、孔子は望んでいたのである。


【2024年4月26日(金曜日)晴れのち曇り10℃〜24℃】


ゆったり

人は命ある限り問題が起こるようになっているのでしょうか。
大なり小なり起こっている気がします。
が、起こっている問題を解いていくのが人生だという気がします。
釈迦やキリスト、孔子や老子という偉大な人々も問題を解いて生きたのでしょう。
が、図らずも後世に名を成したということでしょうか。
それとも歴代人は同じ苦しみに出会い前世の人々の遺したものをただ引き継いできたのでしょうか。
そして、私は偶然か必然か彼らと触れ合うことができています。
その触れ合いの中で確かに感じるものがあります。
共感とでもいうのでしょうか。
なるほどと思うことを実践してみますと不思議に景色が変わるのを感じます。
そして同時にその偉大さを感じます。
そしていつの間にか「首を垂れる」姿勢になっているのです。
仰ぎ見るのではなく「首を垂れる」のです。
これが「謙虚」の姿だと思います。
では、仰ぎ見るのはなぜでしょう。
それは「尊敬」の姿勢です。
いつか彼らに追いつこうと思う心です。
それはこのような気持ちからでしょうか。
「花も嵐も踏み越えて生きていく」
というものです。
一度花を咲かせたらその花にしがみつかず枯れる前に次の花を目指すのです。
とはいうもののそれはそう簡単に行かぬのが人のようです。
こうして人はいつまでも問題を作り続け生きていくようです。
次の世代も間違いなく問題を作るのです。
だから、一刻も早く、
「首を垂れる」または「仰ぎ見る人」に出会うことが大事でしょう。
では、本日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます😄

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