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渡部昇一流『四書五経』の解釈 290

😈 学びと思いは二つで一つ (『論語』為政第二)

🌍 学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆うし。

一生懸命に勉強していても、自分の立場で考えなければもう一つすっきりしない。これは非常によくわかる。
知識はたくさん身につけたけれど、それがどうした、という話になってしまうわけである。

逆に、いろいろ考えるけれども勉強しなければ、世の中の風潮に流されてしまうこともある。また、
思い込みだけ激しくて、闇雲に突進して失敗することにもなりかねない。

このバランスを孔子はよく見ている。
したがって、学んでいるときは、ただ学んでいることに満足していないか常に反省すべきであるし、
何か強い思い込みがあるときは、果たして本当に学んでいるだろうかと反省すべきだろうと思うのである。



にゃんにゃんダンス

2024年6月12日(水曜日)晴れ時々曇り20℃〜30℃

今日は中秋名月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあわせ
よしの屋で独り酒を飲む
春さん 蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ

井伏鱒二「逸題」

買い物に出ていった妻のいない部屋で
湯の沸る音を聞きながら
わたしはおもう
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿
ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ
われらまず腰かけに坐りなおし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ

井伏鱒二「逸題」

これらが生活(くらし)というものか
幸福とはこうも静かに悲しいものなのか———

井伏鱒二「逸題」


人生の主体は「幸福になること」である。
が、何が幸福なのか、幸福とはどういうものなのか
その思いと行動が何であるかを理解している人は少ないものです。
なぜなら、人にはさまざまな思いがあるからです。
仏教ではこれを「煩悩」と言っています。
だから、
釈迦はこう悟った。
「適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、自らは正しい誓願を起こしていること、———これがこよなき幸せである」

では、本日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます😊

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