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渡部昇一流『四書五経』の解釈 277

😈 逆は真ならず (『論語』憲問第十四)

🌍 徳ある者は必ず言あり。言ある者は必ずしも徳あらず。

立派な人は立派なことを言うものである。しかし、
立派なことを言っている人が必ずしも立派な人間とは限らない。
これは
「逆は必ずしも真理ではない」
ということを言っている。

徳富蘇峰は
「四書五経は実にいいことを言っているが、支那人はそうでもない」
というように書いている。
孔子の教えは素晴らしいけれど、
それを説いている国が徳があるとは限らないという意味である。



怒ってんの?

2024年5月30日(木曜日)晴れ時々曇り10℃〜27℃

物事には優先順位があるものです。が、大体人は気分によって流されています。
その点仕事いうのは待ったができませんので嫌でも動かなければなりません。
だから、時として仕事から学ぶことは多いものです。
だから、好きな仕事に就く方が張り合いがあるかもしれません。
と言って好きなことと才能が結びつけばいいのですがそうで無い場合もあります。
私の場合仕事は生き甲斐であり生活の糧でした。ですから、労働条件というものは考慮にありませんでした。ただ自分のできる仕事を選んできました。
幸い家族運に恵まれどうにか生きてきました。今でもそうです。
そして、自分がしたいことに今も取り組めています。
でも、裕福ではありません。が、必要なものはだいたいあります。
それなりに生活を楽しめています。もちろん不自由さは感じています。
この不自由さからはどこで生活しても決して逃れることはできないでしょう。
なぜならば、社会にはルールがあるからです。
このルールに守られて生きてきたように思います。
しかし、時としてこのルールに反して社会に事件が起きます。
そういう時にはルールの見直しがなされます。
このように小さなことが徐々に変化して時代は作られてきました。
それは今この瞬間にも新しいルールは作られています。
が、しかし、このルールづくりよりも民衆にとっては生活が大事なのです。
このルール作りに参加する余裕はありません。
これはどこの国であってもそうです。なぜならば、ルールは民衆のためのものでは無いからです。
ルールが出来上がって発表されて初めてそのルールが不都合であることを知るのです。が、時すでに遅し、です。
どうしてこのような事態が起きるのか、それは無関心だからです。
関心を寄せられるほどの生活的ゆとりがないこともその大きな原因の一つではありますが、関心が無い、ということが最大の理由です。
今の日本はこのような状態の中で作られてきました。
だから、政治家たちが好き勝手をしてきたのです。
今や身動きができないほどぎゅうぎゅう詰めになっています。
果たしてこのような状態から解放されることはあるのでしょうか?
無いですね。
なぜならば、人の思いが自分だけのことで精一杯になっているからです。
一人一人の動きがバラバラですからどうにもなりません。
破滅するしか無いでしょうね。人の破滅は救えません。
自分の身は自分で守る他手段はありません。
今後は自分の身を守ってきた人々だけが生き延びる時代かもしれません。
なぜならば共倒れもあるからです。しかし、協力してきた関係であればそれは免れることができるでしょう。
では、本日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます😊


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