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組織とチーム

♠️ 社会人になる前に

私たちは社会人になる前に学校教育というものを学びます。
その学校の中には校則というルールがあります。
また、校訓という教えもあります。
が、校則や校訓をすべて実行している人はいません。
また、学校で特別な問題が起こらない限り、
その校則や校訓はお飾りに過ぎません。
そして私の周りでは問題は起こりませんでした。
つまり、何事もなく学校を卒業できたのです。
事件は私の追試ぐらいである。
が、追試がどれだけ大きな事件であったかを後々知るわけです。
のほほーんとした性格だったようです。
ひょっとして、江戸時代の庶民は皆このような感じではなかったのかと考えてみました。
江戸時代には学校などありませんでした。寺子屋と呼ばれる私塾ぐらいです。
そして明治時代になり義務教育が始まります。
ここで教育勅語を暗記させられるのです。もちろん強制的に。
このことを知った時、「明治時代に生まれなくて良かった」と安堵の気持ちになったものです。
人はそれぞれに自分の与えられた人生、そして時代を生きています。
その生き方はそれぞれであり、誰も否定はできません。
ただ、恐ろしいのは犯罪です。その犯罪を防ぐ法律が国家にはあります。
この法律を守ることで社会は安全です。
しかし、時として人は暴走し、大事件に発展します。
そして、そこには動機というものが必ずあります。
私がこのnoteの世界にいるのも動機があるからです。
その動機の目的は初期とはいささか変化してきています。
どうやらnoteの世界における私の物語の始まりという予感がします。
さて、エピローグまでどのような物語が展開していくのか。
今日はそのプロローグですね。しかし、ここにはあらすじはありません。
ストーリーはあってないようなものですから。

では、本日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます😊

〈今日の一言〉

文明とは人の身を安楽にして心を高尚にするを云うなり。衣食を饒(ゆたか)にして人品を貴くするを云うなり。・・・・・人生の目的は衣食のみにあらず。もし衣食のみをもって目的とせば、人間はただ蟻の如きのみ、また蜜蜂のごときのみ。・・・・・文明とは人の(物質的)安楽と(精神的)品位との進歩を云うなり。またこの人の安楽と品位とを得せしむるものは人の智徳なるが故に、文明とは結局、人の智徳の進歩と云うて可り。         
ー 福沢諭吉『文明論之概略』 ー

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