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お釈迦さま

♠️ お釈迦さまになってみたいと思ったことはありませんか?

私がお釈迦さまに初めて出会ったのは幼稚園児の頃でした。
バス旅行で祐徳院という寺院で花祭りに参加した時です。
でもその時は工作された象を引くという行事でした。
なぜ像が登場するのかと言いますと、いろいろ伝説はあるようです。
白い象に乗ってやってきたとも言います。
私の場合は、
修行中、路面で寝ていたお釈迦さまを踏まずに通り過ぎたというものでした。
まあ、象が来たのがわかれば、私などは飛び起きて逃げます。が、
お釈迦さまは知ってか知らずか横たわったままでした。
象にしたら邪魔な存在だったとは思うのですが、
避けて通り過ぎたと言います。逸話を子供は簡単に信じます。
「私もそういう人になりたい」って素直に思ったようです。
その時の記憶は今もまだ鮮明に残っています。
〈余談〉
因みに徳川吉宗公の諡号は「有徳院」だそうです。
享保の改革で有名です。別名米将軍と言います。
TVドラマ「暴れん坊将軍」の主人公松平健と言ったほうがわかりやすいかもしれません。
〈余談了〉
で、子ども時代はお寺巡りは好きでしたが、今はもうかなり薄らぎました。
世の中が見えてきたからでしょう。

が、仏の修行というのは無名無実の状態では難しいと思います。
スーパー、つまり、「超」にならなければなりません。
それはある意味自分の限界を知るということです。
お釈迦さまは生まれてすぐ立ち、右指で天を指し、左指で地を指し、
「天上天下唯我独尊」と叫びました。
天は見るからに遥か彼方にあります。地はすぐそこです。
お釈迦さまはこの時すでに自分の身丈をお知りになっていたのです。
ここで既に現代人との違いが明確になっています。

なぜならば、現代人は限界というものを知らず、上へと昇ろうとします。
力ある人は難なく昇りますが、それとも望みが低いのかあっさりとたどり着きます。これが運命の違いなのでしょう。
昇れない人は望みが高いのか、自分に合わない道を選択しているかです。
だから、自分の限界を知ることは重要です。

義務教育は親の庇護がありますのでそれに気付きにくいようです。
が、高校・大学は違います。大きく左右するのは運命です。
私はここで運命論をほざくつもりはありませんが、
「運命」はあります。が、誰も運命を知りませんし、
その乗り越え方も知らない人が多いです。
最近はこの手の本がかなり出版されていますが、
読んでわかる人というのは皆無です。
そのためかコンサルティングやコーチングという職業が誕生しています。
これも時代の流れなのでしょうね。

では、本日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます😊

〈今日の一言〉

樹木を植えるに、根を伐るときは、必ず枝葉を切り捨つべし。根少なくして、水を吸う力少なければ枯るるものなり。大いに枝葉を伐りすかして、根の力に応ずべし。然かせざれば枯るるなり。

ー 夜話145・二宮尊徳ー



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