スタイル・改!

 スタイルが固定化してしまう!文体もそうだし、何を書くかもそうだし、なにもかも、全部が、ひとつのものになってしまう。無限の可能性に開かれているはずの表現が!これは恐ろしいことだ………


 万城目学が直木賞を取ったらしい。『八月の御所グラウンド』。嬉しい。とても嬉しい。おめでとうございます。私は万城目作品が大好きだ。小学校くらいの頃から何度か「万城目読みたい期」が発生して、その度に何冊か読んで、大満足して、というのを繰り返している。今回の『八月の御所グラウンド』もそういう理由で読んだ。……やっぱりとても面白い。これに影響を受けて⬇️のnoteを書いたのだが、やはり全然違うものが仕上がる。

というようにナチュラル(?)な宣伝を挟みつつ、ここで区切り線の前の話をちょろっと思い出してみてください。そろそろ忘れた頃でしょう。知らんけど。

 凄くつまらないことを言うと、万城目作品は「過去と現在のフュージョン」を「最高に面白く」書くことに特徴がある。このスタイルは一貫しているし、ある程度確立されたものだろう。彼に限らず、良く「独自のスタイルを確立した」と言われる人がいる。この言葉は間違いなく褒め言葉だろう。
 だが、本当にそうだろうか?別に私の過去のnoteなんてひとつも見てなくて良いけど、私はここ一年半くらいnoteを書いてきて、「独自のスタイルが確立されてしまった」と感じている。このnoteを見てくれている友人や知人にも、「らしさ」があるという風に言われたことが何回かある。

 これは良いことなのだが、良いことではない。もちろん、このスタイルを磨いていけば良いこともいっぱい生えてくるだろう。それはスバラシイことだ。だが、あまりにも当たり前の代償として、スタイルを確立すると書けなくなることもまた生えてくる。こんな自明の理の例に直木賞作家を出すのは気が引けるが、万城目学にリアリズム小説は多分書けない。多分。いや、もしかすると万城目学ほどの実力があればちょちょいのちょいなのかもしれない。少なくとも私はそういう振れ幅を今は持っていない。

 何が言いたかったはもうおわかりだろう。実はこの話、色々書きたいヨーという話をnoteに書くのは多分、2回目か3回目なのだ。だからタイトルに「改」なんてついている。そして、この「改」は決意表明でもある。今年の私は色んなふうに「改」します。あ、でも、進歩、みたいな言葉で捉えて欲しくはないかも。例えるなら…やっぱいいや。

 「改」です。もう1月も下旬ですね。本年もよろしくお願いします!

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