そういえば、思ったこと♪

こんにちは。

このブログにお越しいただきありがとうございます。最近色々考えるところがあって、考えをまとめておこうと思いました。

私がピアノを始めたのは4歳の時で、母に勧められたから始めたわけで、母は自分がピアノを習いたかったけれど習えなかったから、娘に習わせたということでした。

まあ、よくある話です。

で、小学生の頃は周りの子もあたり前にピアノを習っていて、そういう子はクラスにもたくさんいました。でも、中学になるとピアノを習い続ける同級生は少なくなり、高校に行くとさらに少なくなりました。

そして、私自身、3年生からついた先生は私立の国立音大のピアノ科を卒業した先生。ご自宅で家族と暮らしながら、ピアノのスキルを活かし、生徒を音大のピアノ科に入れるよう指導している方でした。

「音大付属の中学を受験!」をやめ「音大付属高校の受験」をやめ「音大」を受けること自体をやめたのは、自分の将来を見据えて、自分の将来を見据えて選択肢が二つでした。

1ピアノの先生になる。
2ピアニストになる。

たったそれだけの選択肢しか見えなかった私は、ピアノを続けることを断念しました。

結局私はピアノを「あきらめた」状態になっていました。

何故?

1つは自分のピアノの先生を見ていて、魅力を感じなかった事。

先生になんてなりたくない!

そう思ったことと、ピアニストになる、ということが現実的に考えられなかった事。

今になって、「ピアニスト」にはいろいろレベルがあるし、そのピアニストの技量によっていろいろなことができると知りました。舞台でリサイタルをするようなピアニストしか知らなかったのですが、実際はもっと「ピアノを弾くことが仕事」の人は多いと知ったのはもっと後のことです。

とはいえ、そういうピアノを弾く仕事も魅力は感じなかったと思います。

さて、それで、ピアノで生計を立てる道は断念し、当時は英語を学び、英語を使って仕事をしようと英語の学校に行きました。まあまあ、英語を勉強し、翻訳はやったりしましたし、2年間アメリカに住んでも会話にはそう困らなかったのですが、「同時通訳者」を諦めたという思いが強くなり。。。

そう、私が通った英語の専門学校の学長先生は当時珍しい「同時通訳者」でした。その上からの物言いに「こういう人になりたくない」という思いから「同時通訳者」も諦めました。

結局、ピアノも同時通訳も諦めたという、「諦めた」ダブルパンチが大きく、なぜかその「諦めた」ことばかりクローズアップして自分に映るんですよね。。。

このままではいけない、そんな気持ちになって何かしないと、と思ってはいました。

私の場合、少しずつ少しずつ人や機会に恵まれて、少しずつ少しずつ状況が変わっていきました。

ピアノを再開しているのは、「諦めた」ことを「諦めた」ままにせず、そこから先に駒を動かしている実感を感じたいというのは大きいです。

それだけではなく、実際ピアノを弾いて癒されているのは私なのですが。。。

今日はこのくらいにします。

ピアノを再開することで、英語も実は再開することで、色々な気づきがあります。それを少しずつまとめていきますのでよろしくお願い致します♪


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