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つまらない人。

冠省
こんにちは。marです。

話をしていて、圧倒的に「おもしろくない人」がいます。
誰んちの何とかさんがどーしたんだって、とか。だいたい悪い噂か陰口。
テレビで見た〇〇がこうだったんだって、とか。で?落ちは?
昔に比べていまはだめだよなー、とか。イヤイヤ、今だって良いけど?

これは、聞いてるわたくしが意地悪なのか?
話している相手がつまらないのか??
わからなくなることがあります。
他人のおうちの出来事は、真実なのかどうかもわからないし、本当に言えない話なら話さないだろうから飛びつくほどの刺激的な内容でもない。
そもそも、よそ様はよそ様。うちはうち。

テレビで放映した話なんて、それは一体いつの情報なの?世の中結構なスピードで回転してますけど?それ。取り立ての情報ですか?って突っ込むと途端に怪しくなる。だって、確か先週聞いたもん。

むかしと今を比べることの意味が分かりません。今に適応して対応している人の話なら聞くけど、いっつも「昔は・・・」「昔は・・」言うてる人の話はもうたくさんです。

話す側の視点がどこにあるか。どういう気持ちでネタを仕入れてるのか?それによって話す内容が変わってきます。同じ話を聞いていても、話す側と受け取る側のネタを仕入れるポイントが違うと全く印象の違う話題になってしまうのはこのためです。

上野に花見に行ったとしましょう。
Aさんは、結構人が出てるな、コロナは大丈夫かな?、歩ている人を見るとシニアの夫婦とか女性同士のグループが多いな、ここにこんな店できたんだな、今年ははっきりした色の服を着ている若い子が多いな、流行りなのかな?大道芸。投げ銭しちゃおうかな。こんなの初めて見たなぁ・・・感動した!とくるくる視点が変わります。心はウキウキ楽しいです。

Bさんは。人が多いな、みんな暇なんだな。年寄りばっかりだな、おばちゃんのグループってどうしてこんなにうるさくて厚かましいんだろう。またこんな店ができた、何の店かもわからん、何がいいのかねぇ?派手な格好した若い子多いな、髪の毛あんな色に染めちゃって、あんなんで学校や仕事なんか行けてるのか?まともじゃないな。大道芸なんて、どうせ売れないのによくやるよ、・・・とブツクサ批判しながら歩きます。

この人たちが、上野に行った話を友人にするのですから、聞いた方の印象は二分するわけです。

話す側が、相手を楽しませようという視点がないと話はつまらなくなるしそこで煮詰まってしまい会話が弾みません。
聞いている側も、楽しそうに話している相手をうっとうしく思うようでは会話も弾みません。

毎日が楽しくない、と言う人はまず、自分がつまらないんじゃないか?と疑いましょう。自分から話すネタもないし、相手に楽しませてもらうことばかりを求めていませんか。

楽しい人は、ネットやテレビや噂話からネタを拾うのではなく、自らが動き五感で感じ取り「この体験を誰かに話して楽しませよう」としています。
サービス精神旺盛なのです。話を少し盛るかもしれないし感情表現を交えるかもしれないし、イントネーションを変えて表現するかもしれないけれど、「楽しく人に伝えたい!」っていうのが頭の端っこにある人が楽しい人。

コミュニケーションが上手ではない、と認識している人はそういうことを認識せずに会話をします。楽しませることが苦手なので、うんちくやら評価やらを交えて、相手より上を行って話そうとします。相手の関心を引きたいのです。でも、自分が楽しんでいないので相手にもそのまんましか伝わりません。楽しくない話の始まりです。

社会との接点って、住んでる町からちょっと出たり、電車に乗ったり、駅の看板や広告を見るだけでも存在します。家に居たらわからないけど、一歩足をのばせば「今こんな映画やってるんだ」とか「美術館でこんな催し物やってるんだ」とかそういうことで自分の興味を刺激してくれます。

「この人つまらないから嫌い!」と、相手を変えても一緒です。
自分がまず楽しくて、大事な相手にそれをどう伝えるかを考える。受信も発信も自分のとらえ方によるのです。
自分が心地よく楽しく生きるということ。自分に不満があったり楽しめなかったりするうちはいくら相手を変えてもダメなのです。

と、自分に言い聞かせる。        不一

街のお母さん食堂を作りたい!シングルマザー専用のアパートを運営したい!障がい者雇用を産み出したい!人生100年!社会とのコミュニケーションがないと人生つまらない!夢は壮大です。生きづらい世の中ではあるけれどもまだまだ捨てたもんじゃない!小さくても1歩目がなくちゃ未来は始まらない!