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【観劇】兎、波を走る【当日券チャレンジ記録あり】

先に、当日券チャレンジの記録を残します。
ご参考までに。
1人でも多くの方にこの舞台を見てほしいです。

チケの販売開始は18時。18:15にロビー開場、19時開演なので、前方であれば1時間くらいの空きがあるので軽食くらいは取れる。
今回は、平日の19時公演狙い。15時くらいに並べばいいかな〜?と思いつつ、13時頃に顔を出したら既に4〜5人並んでいました…。慌てて後方へ並ぶ。S席ゲットだぜ。3時間ノンストップ公演なので、立ち見は死ぬと思ったからすごく嬉しい。
野田地図は毎度、当日券が用意されているし、早めに並べば座れる確率は高いので余裕ある方は並んでみてください。ただし、席は見切れが多い端になるので、ご注意を。今回は前過ぎて、演出の大部分で「?」が出てきてしまいました。役者さんはめちゃくちゃ近かったです。
夏場でしたが、待っている場所には扇風機が回っているし、廊下は大理石?なので冷たくひんやりです。お尻が痛くなるで簡易型チェアやクッションを持ってくるのがおすすめ。手摺が背もたれがわりになるのでわりと楽です。…雨の日の直座りは嫌かもね。
水分は必須です。ペットボトル2本で対応。トイレは前後の方に声を掛けて持ちつ持たれつ。
15時の時点で20人くらい? 16時の時点でエスカレーターのところまで人がいっぱいだったので50人くらい? 今までの体感的に、そこまで行くとチケットはないか、立ち見になる感じですかね…? 今回、いつに増しても激戦な気がしました。以上!

以下、ネタバレ感想。
観劇直後にパッションのまま書き綴りましたが、それも大事と思い、恥を忍んで公開します。

いきなり、帰り道の話から始めます。
芸劇の地下から直に駅へ通じる道がある。
夜公演の時はいつもそこを通って帰るんだが、その道の壁に「東京へ返せ!」のポスターが貼ってあって、それから目を離せない様子でその前に佇む小学生くらいの男の子がいた。
彼が『兎、波を走る』を見た後なのかどうかはわからない。時間的にも年齢的にも、一人で鑑賞するか?と不思議に思ったが、身体をゆらゆらしながらそのポスターを見つめていた。道順から考えて、観劇したんだろうと思うけども。
そんな場面を目にした。
それが見られて、よかったと思う。
もしかしたら、小柄な成人男性だったかも知れない。けど、見つめてしまう気持ちはわかる。

えぇ、そうです。
今回、どストレートにブッ込まれたのは「北朝鮮拉致問題」でした。ガッツリ社会派が来た。

前作『フェイクスピア』は戯曲家としての野田秀樹が「「偽物の言葉」で飯を食いながら、ならば「本物の言葉」とは?」を突き詰めた作品だった。その題材が題材だけに、受容の仕方が年齢層によって変わっていた──というのは私自身も思ったし、他の方の感想でも見た。主演に高橋一生を招き、前田敦子を加え、おそらく普段の客層よりかなり若い客が多かったんではないか。この感覚は、野田氏自身にもあったと思う。
で、新たな舞台に、再び高橋一生を起用。
私はこの時点で、「あ、これ、若いやつになんか言いたいこと言うぞ?」と予感していた。かなり重たいテーマを覚悟していた。
だから、始まってすぐにモチーフが『不思議の国のアリス』であること、アリスを探す母親──という流れで、まさかぶっ込んで来るのか?と思ったら、ドンピシャでぶっ込んで来やがった。
拉致問題について、私自身も含め、若い人がどれほど知っているのか。いや、私は若くない。日本人が、と言い換えていい。
今、なお、解決せず、娘の帰りをひたすら願いながら、父が先立ち、母も旅立った。今は、確かお兄さんが代表として戦っているんだったか。ふわっとしてんな。勉強し直します、すみません! でも、今回はこの状態で一旦、書き切りたい。
そこに、よど号ハイジャック事件と、工作員亡命者の話を加える。このへんもふんわり知っている程度。山本直樹『RED』をこれを機にちゃんと読むべきか?
この舞台を見終えた後、多くの方はネットなり何なりでこの問題について調べるでしょう。私もそうします。それが、狙いなんだと思う。けど、そこで終わるんだ。そんな嘆きが透けて見えて、つらかった。
『フェイクスピア』の頃からうっすらと、言葉の力、舞台の力というものに、野田秀樹自身が虚しさを感じているように見えるのは気のせいだろうか。
私が朧げな知識で舞台の背景を理解し、だからこそ拉致問題の「広告塔」のような扱いを受ける横田めぐみさんの人生を、悲劇以外の何者でもない(そこしか見えない)彼女のそれを、その家族の物語を、ただ「かわいそう」だと涙するのはなんか違うと思っていた。意地でも泣きたくなかった。
けど、ラスト付近で登場した二人の戯曲家が「結局、同じになった」と、書き直して、その書き直しの間にAIとなってしまって、また同じになったと。
その繰り返すさまを見て、虚しさもそうだけど、そんなこと言うなよ…と不覚にも泣いてしまった。
問題提起で終わる。
こういうことなんだよ、で終わってしまう。
多分それは原爆問題を取り扱った『オイル』や『パンドラの鐘』、731部隊の『エッグ』、海軍版特攻隊である人間魚雷の『逆鱗』、新しいところだとシベリア強制収容所の『Q』と、さまざまな戦争関連の問題を取り上げてきた彼が、今なお続く、拉致問題と向き合ったとき、さてこの作品に何ができるのかという問いかけの答えであるような気さえする。
それとも、それは私の杞憂に過ぎなくて、単に今回は「若者」にわかりやすく伝えるために、『フェイクスピア』と似た構造を取っただけに過ぎないのかもしれない(その類似はもちろん意図的だと思うが(最初のセリフのリフレインを、最後に持ってきて意味あるものにする、とかね。
繰り返すが、この拉致問題をアリスを代表にして、「年端の行かない少女が不条理に家族と引き離される悲劇」とだけ見るのはあまりにも短絡的だ。
今までの戦争関連作品を含め、そこには「おまえの話なんだぞ」という声が必ずある。『オイル』で──そう、主演の松たか子が繰り返した──「あなたの話なのよ」が必ずある。
「なら、どうすればいい? どうすれば解決する?」──現実問題として、国防費を増やし続ける与党の存在がある。ロシアやドイツの作家の名を散りばめたのは、現在進行形のウクライナ侵略の話と無関係ではないだろう。
拉致問題の解決のために、同じ悲劇を繰り返さないために、日本という国を守るために、ならば、どうする? ──武装するのか?
そんな単純な話ではない。
でなければ、よど号ハイジャックの話を挟むはずがない。
せっかく亡命できたのに、罪悪感を抱きながら、また戻ってしまった兎の話を入れるはずがない。
私がこの話にガツンとやられてしまったのは、その問題解決の難しさを痛感するからだ。『オイル』で投げられた、「あなたの話なのよ」という台詞が、ここに来て直撃させられているからだ。
そして、その結果、出来ることとして、「問題をしっかり知ることしかできない」、これに尽きてしまう。この虚しさ。でも、そうするのがまず一歩なんだと思う。
だから、その一歩を踏み込ませるものを出せたのなら、「それでいい」と私は思うんだけど、多分、野田さんはそれが嫌なのかなぁ。同時に、こういう題材をエンタメとして消費しているのも。
『不思議の国のアリス』なんて、エンタメの最たるものじゃん。言葉遊び。アナグラム。ナンセンスな物語。
それって、野田戯曲が武器にしてきたものなんだよ。楽しませてくれたものなんだよ。
そのへんの皮肉がカウンターパンチとなって、しおしおになっちゃった。
カーテンコールで痺れた手を眺めて、いつもの観劇よりずっと気持ちが重かった。

もっかい見に行って感想を書くとか、その場合は問題関係をさらっと調べてから行くとか、いろいろあるけど、ひとまず書き切りました。今の、私の問題意識だけで、このことを考えたかったので。
他にも演出についてとか演技についてとかいろいろ書きたいことはあるけど、ひとまず、あと一つだけ書いて終わります。

多部未華子よ!
おぉ、私の永遠の少女!!!

『流浪の月』に出てきたときは、随分と落ち着いた大人の女性の演技をするようになっていて、ひどく面食らったものです。
『デカワンコ』でその名前を認知し、キャピルン系のキャラ強めの人かなぁ?と眺めていたら、何かのきっかけで舞台『サロメ』を見まして、ドカンとやられました。永遠の少女。舞台だとこんなに映える女優さんなんだ…!と。
その前に『農業少女』もやっていたと知り、もうそれはそのまんまじゃん! ドロレスじゃん!!! って歯軋りしました(見れてねぇです…!(深津絵里のは見たことある、彼女も永遠の少女ができる女優…
そう、だから、年齢を重ね、相応に落ち着いた役柄をするようになってしまった(と思っていた)彼女が、「アリス」として出て来たときは、ぴきゃーーー!!ってなりました。少女役の多部未華子を拝めるだと!? 5時間並んだ意味が、ここにある!! ありがとう、野田秀樹!!!
その意味で、松たか子はもうそこから降りた役が多いのですよね。「永遠の少女」を演じられる女優というのは、だから、すごく稀有なのですよ。結婚歴とか出産経験とか、年齢とかではない。もうその人が纏うもの。舞台だと、声の力が大きいのかな。深津絵里も、声が少女なのよ。
松さんは、そもそも「人間」の枠からも外れることができる女優なので、それはそれで稀有なのですが。というか、意味わかんない存在なんですけども。
閑話休題。
多部未華子、しかし、作品中でアリスでありながら、「母」にもなるというのが、彼女の特性をしっかり掴んで役に嵌めた気がして、見事だという他なかった…。
正直、今回は兎やアリスの母よりも、「永遠の少女」でありながら「母親」にもなる多部未華子という女優の存在がデカ過ぎて、ショックを受けています。いい意味で。
ラストの「おかぁーさん」という呼びかけに心が揺さぶられなかったという人はいないでしょう。啜り泣く声が劇場から聞こえました。
アリスという幻想を背負いつつ、「これは、私の現実の話!」と兎に詰め寄るときの迫真。そこには理不尽な運命に巻き込まれつつも、地に足を踏んで生き抜く女の姿が見え、ただ「かわいそう」なだけではない、彼女自身のしがらみも見える想いで、…いやぁ、すげえよ、これは。

追記
リセールに当選できましたので、おかわりします。
次はしっかりお勉強してから行きたいと思います。

7/18 訂正
被害者の方のお名前を間違えていたので訂正しました。
それを含めての己の認識を晒す意味でも残しておこうかと思いましたが、人の名前のことなので訂正します。

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