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おばあちゃんのおひざもと

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大正3年、1914年にアメリカに生を受け、22歳までに3度も船で太平洋を横断し日本とアメリカを行き来したおばあちゃん。 ロサンゼルスの大都会から、ど田舎にある山寺の住職の嫁とし… もっと読む
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記事一覧

おばあちゃんのおひざもと 香語

宝昌院心鏡慈照禅尼 様 百歳のお誕生日祝いに、おばあちゃんから聞いたお話集、『おばあちゃ…

おばあちゃんのおひざもと 祝100歳

おばあちゃん、100歳のお誕生日、心からおめでとうございます。 アメリカのロサンゼルスか…

おばあちゃんのおひざもと 第46話 力を貸したい

「田植えの時期になると、毎年家族総出で朝早くから忙しそうに田植えを始める斎藤さん一家を廊…

おばあちゃんのおひざもと 第45話 片田の思い出

「志摩半島っていうのはね、とってもきれいな所だよ。おばあちゃんの育った片田っていうのは、…

おばあちゃんのおひざもと 第44話 薪割り(まきわり)

「薪(まき)集めと薪割りは、幸ちゃんのお父さんの仕事だった。学校から帰ってくると、裏の山…

おばあちゃんのおひざもと 第43話 一升瓶の酒

「『一升瓶の酒を用意してくれるか』っておじいちゃんが言われて渡すと、『おい、義正。謝りに…

おばあちゃんのおひざもと 第42話 ひいおばあちゃんの死

「座葬っていってね、死体を膝を抱えて座った姿勢にして、その状態で大きな瓶(カメ)に入れて埋葬する、そういう風習が片田にはあってねえ。私の母はそうやって墓地に埋められたの(屈葬とも呼ばれる)。明治生まれの人にしては長生きして91歳まで生きた。あの頃は人生60年っていわれてた時代だから長寿だったね。お葬式には佳子を連れていった。まだ佳子は学校に上がってまもなくて、孝江おばちゃんは仕事してたからね。私と一緒に連れて行くことにしたんだ。あの時は東京駅で新幹線の自由席に乗ろうとしたら満

おばあちゃんのおひざもと 第41話 二度子育て

「『ごめん、お母さん。悪いけど、またこの子達の面倒見といてくれる。』って伸宏と雅美を連れ…

おばあちゃんのおひざもと 第40話 童謡とキティー

「歌を歌って子供に聞かせてるとさ、おじいちゃんが『何だ、歌なんか歌って』って止めるように…

おばあちゃんのおひざもと 第39話 トーランス Torrance

「トーランスっていう街のカースンっていう通りに、結婚するまで家族と一緒に住んでた。周りは…

おばあちゃんのおひざもと 第38話 講演会

「学校の校長先生に頼まれて、おじいちゃんがアメリカでの経験を講演したことがあるよ。あの当…

おばあちゃんのおひざもと 第37話 アリの這うように

「アリさんの這うように、ここの粘土質の固〜い土を一鍬、一鍬耕していった。少〜しずつ、少〜…

おばあちゃんのおひざもと 第36話 入院

「もうダメ」体の調子がすごく悪くて、一人でふらふらしながら門まで歩いてたら、田んぼで仕事…

おばあちゃんのおひざもと 第35話 山中で

「うっかりして一番大事なものを家に忘れてきたことに、途中で気がついてさあ。おじいちゃんが江見の役場に勤めていた時に、大切な書類に印鑑が必要だって言ってたのに朝、家を出る時に印鑑を置いてったの。『これは届けてあげないと』と思ってねえ。正良がまだ学校にあがる前で、四つかそこらだったから、一緒に手をひいて連れて行かなくちゃならなかった。大人の足でサッサと歩いても1時間以上はかかるとこなのに、小さな子供と一緒だったらその倍はかかっちゃう。だからにぎりめし作って水筒にお茶入れてお弁当作