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「沼に沈んでしまえば」


「僕はあまね様のモノになりたいのです」

ピクリとも動かない表情筋。
この子に、感情はあるのだろうか。
急にフラっと現れて、私にすべてを捧げてきた。
いや、この子のすべてとは。
私に捧げるソレなんて、実のところ、指一本で十分こと足りる程度かもしれない。
人の思いなんてものは、よくも悪くも、他人には計り知れないものだ。

「気に入らない時は叩いても大丈夫です」

目が合わず、宙を見つめる彼の瞳。
作り物のような眼球は、このままフォークで刺してもビクともしないのでは。

「どうして私のモノになりたいの?」
「…理由が、必要ですね。すこしだけ時間をください、まとめます」
「……」
「はい、僕はあまね様の感性・容姿に唯一無二の魅力を感じています。そんなあまね様のモノとなって所有していただきたいです」
「所有?」
「はい、僕はモノなので好きな時に、好きに利用していただきたいです」

所有…
私は管理・所有することを避けてきた。
SM遊びは好きだ。私の人生には欠かせない娯楽のひとつである。
しかしなんだ、「管理」はどうも苦手である。
遊び相手にどうしてこちらの時間を奪われるような「管理」をしなくてはいけないのか。
心底鬱陶しい。見えないはずの相手から送られる念のようなものが、鬱陶しいのだ。
とはいえ、遊んでいる可愛い子ではある。そうなると、管理しなければいけない念にかられ、ほっとけバカやろうと叫びたくなる。

「管理はしないわよ、嫌いなのよ」
「はい、あまね様のお好きにしていただきたいです」
「管理なんて絶対にしてあげないわ」
「はい、わかりました」

はい、はい…何を言っても「はい」
悲しくも、嬉しくも。
一見聞き分けがよくて忠誠的。
真っ直ぐ見つめたまま繰り返すその「はい」は、舌の上で生成されたその場しのぎの返事でしょう。

「僕は何にでもなります。家具でも便器でも。あまね様の何かになれるなら。本当です」
「押し付けがましいのよ、黙ってなさい」
「はい」
「………」

次はどんな指示? どんな言葉で縛ってくれますか? そんな詰め寄りを感じる間。
やんなっちゃうなぁ…冷静沈着かつ良い子。の皮を被った何かしらの生き物。
うるさい。うるさいのよ。言葉にしない思いや願望が空気中に漂い膨張する。

「ちょっと、おいで…これ、被っときなさい」
「はい」

彼を足元まで呼び寄せ、マスクを被せる。出していられるのは口だけ。
目も鼻も、煩わしい器官は削ぎ落とそう。
視覚、嗅覚をなくし、上と下に穴が開いた、受け入れるだけのモノとなる。

「私はね、静かなものが好きなの」
「はい」
「お前はうるさいから、こうしておこう」
「…僕が、うるさいですか?」
「うるさいよ、うるさいじゃない、わからない?」
「…はい」

テラテラと光る黒いマスクを被った裸の男は、床で正座をしたまま姿勢正しく佇んだ。
やっと静けさを取り戻したところで、書き物をしていた机に戻る。
部屋の真ん中に置かれたマゾは、一人だれもいない方向を向いたまま、じっと宙を見つめる。

「あまね様」
「………」

「あまね様」
「………」

「あまねさ…」
「うるさいわね、何」

同じ音程、同じ声量。
私が返事をするまで延々と呼びかけ続けるのではないだろうか。

「僕は、あまね様のお役に立てているでしょうか」
「立ってるわけないでしょ」
「え…でも」
「騒がしいから静かにさせただけよ、ドマイナスからマイナスになった程度でプラスになんてなるわけないじゃない」
「それはまずいです…今すぐあまね様のお役に立ちたいです、いくらでも蹴ってください、僕大丈夫ですから…」

手探りで私の声がする方に向き直し、必死に懇願するマスクの男。
表情は見えないはずなのに、私を探す丸い瞳が見えるよう。

「あのねぇ、私は暴力を振るいたいわけじゃないし、もしそうだとしても、私がしたくもない時に強いられたらうざったいだけよ…」
「でも…」
「何?お前は何でそんなに私の役に立ちたがるのよ」
「…先程お伝えした通りです」
「あんな繕った言葉で私が納得するわけないでしょう…本当の言葉で喋りなさいよ」

四つん這いで縋っていた姿勢は、ゆっくりと正座に戻っていき、握られた拳は両膝の上に収まりよく置かれた。
高い位置にいる私から目を逸し、すこしうつむく彼は口を開く。

「…あまね様を、他のマゾに取られたくないのです」
「……」
「…僕以外、誰も近づけたくないです」

…なるほど。
なんだ、そうか。
どうやら、私の目は節穴だったようだ。
人間らしいことを言うじゃない、可愛らしい。
私は重い腰を上げ、視界を奪われた彼に近づく。

「…じゃあそんなやり方じゃだめよ、すぐに方法を変えないと」
「…はい」
「私はね、じっと耐えている姿が好きなのよ」
「…はい」
「何にでもなるんでしょう?」
「もちろんです」
「じゃあ…今からお前は椅子になりなさい」
「イス…」

役目を与えるも、どうしたらいいか戸惑う生き物。
これだから表情をなくすマスクは最高。一気に人じゃないものに突き落としてくれる。
自分の居場所さえわからない彼を、足で小突き、書き物をしていた机まで移動させる。

「四つん這いのまま顔上げて」
「…はい」

机に向かい、裸の男は四つん這いになった。
地面に膝をついたまま顔上げ、真っ直ぐと背筋を伸ばし、規律正しくモノとなる。
“椅子として必要なこと”にでも頭を巡らせているのだろうか。それとも、座ってもらった時の感触を思い描き、心臓が張り裂けるほどの鼓動を感じているだろうか。

私は背を向けたまま椅子の前に立ち、後ろに手を回すと、椅子の後頭部に片手をかけた。
座る部分となる顔面の角度を手で調整し、ゆっくりと、腰を下ろしていく。
顎に触れ、口を塞ぎ、頬を圧迫する頃、鼻は完全に密閉された。
今頃、椅子は全身で私を支え、乗っかったお尻の下、秘めた心は恍惚としているのだろうか。

「……」

突き出したお尻を密着させ、様子を見ながら、ゆっくり、ゆっくりと体重をかけていく。
マスクの上からでも鼻の突起が当たり、顔の位置がよくわかる。
匂いは…マスクがある分感じられていないかも。可哀想に、椅子の喜びのひとつを奪ってしまった。しかしまぁ、それも仕方ない。椅子は座っていただいたその時を全うするだけ。匂いがどうだの、味がどうだのと、思える立場ではない。

「………」

椅子は、黙ったまま、じっと耐え忍び、重心を崩さない。
マスクだけでも息苦しい鼻は、私のお尻にピッタリとハマり、酸素など取り入れらるはずもなく。唯一残された口だって、息継ぎのタイミングは私次第。
きっとそろそろ、苦しいはず。
それでもジタバタせず椅子に徹するこの子は、すこし恐ろしい。
恐ろしいのは、引きずり込まれる自分の欲望で。困ったな…酷くそそられる。

「………はぁっ」

軽く腰を浮かし、隙間を作る。
一気に吸い込まれる空気で、温まったソコに風が抜ける。

「はぁっ…はぁっ…はぁ」

ぼやける視界、早く脳まで酸素を回して。
視点が合ったその世界、椅子の景色を楽しんだら。
終わりじゃないよ、今から本番。
ほら、私が座るよ。

「…っ」

今度は口を中心に完全密閉。
今日は細いTバックなんだ。
座る直前に下着を指で横にずらす。
頬に当たる皮膚が気持ちいいでしょ?

「口開けちゃだめだよ」

再度腰を浮かし、口を覆うように座り直す。
ぎゅっと結んだ人間椅子の口が、いやらしく私に密着した。

椅子とは。
主人の香りが目の前に来ようが、濃厚な香りが脳まで回ろうが、椅子は椅子。
伸しかかる温もりに恋焦がれたとしても、そんな想いに気づかれることもなく。
ただ、モノとして、存在するのだ。

「…ねぇ、椅子、すごくいいね、気に入った…」
「……」
「椅子はいいんだけどさ、お前、便器にもなりたいって言ったよね?」
「……」
「便器、なってみる?」

口を塞いだ提案に、椅子からの返答など当然あるわけもなく。
私は一人天井を眺め、夢を語る少女のような気持ちだった。

「便器でも家具でもって、言ってたもんね、私のモノになりたいって」
「……」

「よく考えたら、お前を便器にしてあげたくて。だってそうでしょ? お前がなりたいものは、私しか叶えられない。死ぬ気で頑張ろうと、私が実現しない限り一生夢は叶わないんだもん」
「……」

「私も初めてだけどさ、なんかいいかも。お前も、受ければきっとわかる。最高の日になろうと、トラウマになろうと。どちらにしろ色濃く記憶にこびりついて離れない。今後のお前の人生、呪縛は解けずに人の皮を被ったように生きていくのよ、便器になれた記憶を抱いて」
「……」

「ほら…今お前の口は私に繋がってるから、いつだって便器になれる」
「……」

「今はマスクで見えないと思うけど、想像して? 便器の景色。見上げるすべてには私のお尻。目の前にはお前を便器にしてくれる柔らかなヒダが見える…」
「……」

「誰も知らない私のすべて、お前だけが知る私の味…」
「……」

ふと我にかえると、私を乗せていた彼の顔面を支える首がプルプルと震えていた。
夢中で話しているうちに、全体重をかけ続けていたようだった。

「あーごめんごめん、あまりにも座り心地がよくて…」

椅子から降り、四つん這いのまま固まる彼を様子を確認する。
変わらず口を結び、私が座っていたまま顔面は上向きを維持している。
ふと股間あたりを覗くと、彼が垂らした透明の液体が、床に小さな水溜まりを作っていた。

「すごい濡れるね、君」
「……なりたいです」
「ん?」
「あまね様の便器になりたいです」

「……」
「僕だけに、あまね様のすべてをください」

「……」
「あまね様の便器に…」

「うるさいよ!」
「…はい」

覚悟とかそんなんじゃない。この子はそれしか信じない。私を選ぶ、その自分しか。
便器になる想像をして我慢汁垂らすなんて相当イカれてるけど、だからこそ人間ではないものになれるんだ。
私は、こんな子が欲しかった。

「便器ってのは自分から『してください!』って寄ってこないでしょう? 本当におしつけがましいマゾだね…」
「…申し訳ありません」
「しかも、便器のくせに自分で汚しちゃだめじゃない、床、濡れてんのよ、お前ので」
「はい、今すぐ綺麗にします」

そう言うと、マスクで見えない状態のまま顔を地面に近づけ、自ら垂れて汚した床を舐め取ろうとした。
舌を床につける既の所で声をかける。

「待ちなさい」
「はい」

「そのまま口の周り舐めてみな」
「…………」

「私の味、もったいないよ」
「………ありがとうございます、美味しいです」

「じゃあ床も綺麗にしなさい。見ていてあげるから」
「はい、わかりました」

ペロ、ペロと床を舐めて掃除をする彼の姿を眺めながら、これから浸かる事になるであろう沼の深さを、一人思い浮かべたりした。

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