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#37. 沈黙の夏

こんばんは🌙

久しぶりに15時半退勤で時間にゆとりがあったはずなのに20分の予定だった仮眠とノノグラムで今日も1日を終えそうだ。
睡眠不足なのか娯楽不足なのか私は親にとって愚息なのか。
答えは3つ目だけがはっきりしていると思う。

人生1度きり、少しでも悔いのないように自分の好きなように生きるのも大事だが両親に誇れる生き方をしなきゃとも思ってしまう。
今日も何かに縛られている。
出せるカードがないのでパスを使わざるを得ない。
これで私も大貧民、どん底まで落ちたら上を目指す必要がある。
きっと今日は革命前夜、百戦錬磨の天才でも夜に憂いを帯びていることだろう。

私は家族と過ごす時間があまり得意ではない。
歳を取って気を遣うことを覚えて友人や先輩・後輩はもちろん、家族に対しても遣うようになってしまった。
家族に対して沈黙の気まずさを感じてしまうのだ。
いつからそうなったのだろうか。

現状、1番落ち着く存在は一体誰になるのだろうか。
やはり1人で過ごす時間を長く続けていると人と時間を共にすることに苦痛を感じてしまう。
それでいて寂しさを感じるのはなんとワガママなんだろうか。

気を遣わない、沈黙の居心地の良さを感じる相手が何より求める条件だと思っている。
好きなタイプとか○○派とかは表面的なもので口にしたもん勝ちな要素に過ぎない。
むしろネタ要素も多く含んでいるからいつも聞かれた時は頓珍漢なことを言っている気がする。
ちなみに、社内で可愛いと思う人を言い合う男子高校生の掛け合いをした時に好きなグラドルに似てるという理由で選んだ話が本人に風の噂で伝わって気まずくなったことがある。
下手なことは言うな、黒歴史を作るな、ちゃんと墓場まで責任を持って引きずって行け。
当事者の、当事者による、当事者のための心の底からのアドバイスである。

社会人になっても会い続けている人は比較的そういう人が多い気がする。
水族館に行って大きな水槽の前に2人並んで座って5分間過ごせるか、これが基準だなと思った。
特に言葉を発することなく、ただぼんやりと魚の群れを眺める、たまにスマホを取り出して思い思いの写真を撮る。
思いついたことを話しかけて、相槌だけで会話が終わっても気にならない。
そんな脳死状態とも言える状況を幾度となく乗り越えられるそんな人がいいなと思う。

そんな存在を失って気づいたらそれが当たり前な毎日をもう1.5ヶ月ほど過ごしたんだと思うと虚無感とひとつまみの絶望を感じる。
失恋から立ち直るきっかけは蛙化だったと言うときっと色々な人に笑われると思う。
心にぽっかりと穴が空いて、色々な人に会っても、スイーツを食べても、写真を撮っても埋まらないものは確かにあった。
声は想像以上に響きそうだが、伝えたい思いは見つからなかった。

会いたくない今は君にも会えない
弱った心に触れられると
優しさをやけに感じちゃうの

私たちの幸せは / Karin.

君を知らずに100年生きるよりずっといいという名言は残念ながら刺さらなかった。
幸せな思い出と会えないこれからを天秤にかけても前者はふわふわしていて重さはない。
会えないことに絶望を覚えてもう1度会いたいと縋りついてしまう私が1番重いのかもしれない。
想い合い、重い愛、興味ない、もういいかい?
かくれんぼをすると勝ちにこだわって誰にも見つからないような場所を探してしまう。
鬼の目にも涙、猫の手も借りたいはずだ。
圧倒的な命題論理はわかりきっている、延滞料金は出世払いもしくは目の前のあなたに奢ってもらいたい。

良い夜を🌙