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男の人生は父親がいなくなってから始まる

父の葬儀が終わってひと月ぐらい経った頃、Oさんに言われた。「男の人生は父親がいなくなってから始まるものだ。」と。

「自分もあなたぐらいの歳に父親を亡くし、ある先輩にこの言葉をもらった。その当時は理解出来なかったけど、今は本当にその通りだと思う。自分はこの言葉にずいぶん助けられた。だから今のうちに伝えておきます。」と。

以来ふとした時にこの言葉が頭をよぎり、光を与えてくれている気がする。

世の中の理をすべて解き明かすとまではいかないけれど、それに近い感覚を与えてくれる不思議な言葉。

僕にとっては魔法の言葉。この言葉がやさしいのではなく、この言葉を繋いでいくことがやさしいことなんだろうと思いはじめた。


父は突然死んだ

ちょうど7年前の今日、父は死んだ。
突然に。
なんの前触れもなく。

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ゴルフをしている最中に背中が痛くなり、何ホールか続けた後、やっぱりちょっと休もうかなと言ってクラブハウスに戻りソファーに座ってしばらくしたら、もう動かなくなっていたらしい。

家族と共に病院まで駆けつけたら、「大動脈瘤破裂による出血多量でした。」とMRIの画像を見ながら説明された。

言っていることは分かるけれど、それはまるで学校の授業を聞いているかのようで。
身体の輪切り画像を見ても、ハムみたいだな。としか思わなかった。
プリマじゃなくてちょっと高級なやつ。

痛みは無かったようで、顔はとても穏やかだったし外傷ゼロだし眠っているようにしか見えなかった。
その父の胸にしがみついてワンワン泣いている姉を見て、あ、ドラマとかで見たことあるやつだ。とちょっと引き気味に思っていた。(姉ゴメン!)


数時間待って搬送車が来て実家に遺体を連れて帰った。次の日から忙しくなった。


葬儀屋の教え

人が一人突然いなくなるというのは大変なことで、そんな準備など元々していないので何をするべきかさえ分からない。
そこに現れた救世主は葬儀屋のおやっさんで、イチから本当に優しく丁寧に話をしてくれた。

見た目はまんまザ・その筋の人だったけど。

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香典を断るのはどうかと相談すれば、あなた方の判断だけど、と前置きした上で、香典というものは恩返しだと教えてくれた。

故人が生前に色んなところに香典を出している。貰った人はそれを忘れない。だから返しに来るんだと。

つまり故人に対して恩を返したいという人の気持ちが香典であって、これを故人本人ではない人が断るというのは出過ぎたことにもなり得るんですよ。と。

なるほどー!と聞いているとどんどん葬儀屋は続け、

「誰が始めたか知らないが、家族葬なんてのが流行っているがあんなものはおかしい。人はまわりに迷惑かけて助け合って生きている。だからそのお礼を言いに来るのが葬式なのに、その機会を他人が奪うというのは、思い上がりだ。自分たちだけで生きてきたとでも言うのか。」

と、金歯をチラつかせ、手首の数珠を鳴らしながら色眼鏡の奥の眼は真剣に語る。

おやっさん怖いよ。と思いつつも、ものすごく腑に落ちる話。


こういう類の話を沢山してくれた。
母ではなく僕が喪主をやると言ったからなのか、葬儀屋のおやっさんは自分の父親の葬儀の話や事業継承の話などもしてくれた。
参考になる話ばかりだった。


何となく、この人は息子に言うように僕に言ってくれていると思った。

仕事を頼んだ側、頼まれた側ということではなく、人生の先輩として父親の死をどう受け止めるかを教えてもらっている気がした。


近い存在になった父

そうこうしているうちに父は灰になり、僕たちは日常に戻った。

不思議なことにいざ居なくなると思い出す機会が増える。

父はこんな人だった。

長年勤めた会社を部下の不祥事の責任を取って辞め、求職活動中に出会った若者の相談相手になったのをきっかけにキャリアカウンセラーとして晩年は全国で講演もしていたらしい。

酒飲みで賭け事が好きで悪口たたきだけれど、どこか言葉に温かみがあった。

ある時、「今日、就職相談会で100人の若者と話してきた。コイツはもうどうしようもない。箸にも棒にもかからないって奴、何人いたと思う?」と家族に聞いてきた。僕らは10人とか20人とかって答えたら、ニヤッと笑って「ゼロだった。みんな良いトコあるもんだぜ。」と。

嘘でしょ。あなた会社員時代には履歴書に修正液使ってるだけで落としてたでしょ。と驚いたことを覚えている。

どこに出かけてもほとんど晴れるという強烈な晴れ男は、太陽のような明るさを持っていて、自分は人の悪口言うくせに人からは言われないという特異な人だった。

自分と父はちょっとも似ていないし、同じ仕事もしていないし、共通の話題なんてほとんど無い。

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もともと既に親とは離れて暮らしていたし、年に一回ぐらいの何か特別な用事が無い限り父と連絡を取ることもなかった。さらに言えば、生前は父のことを思い出すなんてことも正直全く無かった。


それが居なくなった後は頻繁に頭の中に出てくるのです。

あ、こういう時、父はなんて言ってたかな?とか、ああ言っていたのは本当はこういう意味だったのかも。とか。


Oさんの言葉

そんな時に、仕事でお世話になっていたOさんに冒頭の言葉「男の人生は父親がいなくなってから始まるものだ。」をもらった。衝撃だった。

これを聞いたら、今度は葬儀屋のおやっさんの言っていたことがグワッと大波のように押し寄せてきて、「男の人生」というタイトルロールが荒波から出てきた気がした。

もう演歌のそれだ。
僕は極寒の北の漁師でもないし、兄弟で舟を漕いでもいないけど。

家督を継ぐというような大仰な話ではなく、父親という存在に息子というものが無意識のうちにいかに依存してきたかを知らされた気がした。

父がいる時は、存在していることが当たり前過ぎて、深く考えなかった。
自分がいかに父に影響をうけているか、
ああなりたいと思ったことも、
ああはなりたくないと思ったことも。

親戚などから聞く過去の父の言動に、あー凄いなと素直に思えることが多々ある。今の自分にとっては。

父親は偉大だ。
もうここには居ないから、もう超えられない。

でも、Oさんの言葉を得ると、

もうここには居ないから、だから超えることも出来る。

と考えられるようになる。
父は沈黙することで「超えてみろ」と言っているようにも思えてくる。

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As you like

父は、As you likeとよく言っていた。母や姉たちに相談されるたびにこう言っていたのを聞いていた。
「お好きにどうぞ」という意味だが、父はわざわざ英語でちょっとおどけて言っていた。
今思えばそれは、ふざけていたのではなく、照れ隠しだったのかもしれないと思う。

「勝手にしろ!」ではなく、「応援するよ」でもない。
その中間の言葉として使っていたのではないかなと最近思うようになった。

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僕は直接父に真面目な相談をしたことが無いので、この答えを貰ったことはない。
だから、この7年間、何か判断に迷ったとき、父ならどう考えるかなと思ったとき、天に聞いてみている。

答えはいつも「As you like」だ。
だよね。分かってるよ。僕の人生だ。


やさしい言葉をつなぐこと

生きていると、やさしい言葉に出会うことがある。
僕にとってのやさしさとは、この言葉をつなぐこと。

それを伝えてくれたOさんにはずっと感謝している。
だから僕も伝えていきたいと思って、数年前に友人が父親を亡くした時にも伝えた。
「こういう言葉があるよ。僕もまだ良く分かんないけど、少し楽になるよ。」と。

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「親が居なくなって初めてその人の人生が始まる」
やさしい言葉は誰に渡しても良いと思う。どんどん広がってやさしい言葉に溢れることになったら、世の中はもっと良くなるはず。


そうしようと思ってこの文章を書きました。これを書くにあたって父に許可は取っていません。
きっと答えはこれだから。

「As you like」




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さっき、姉からこの写真が送られてきました。
あなたがいなくなった日から7年、毎年この日は晴れています。



noteを始めてから、考えていることをどう書いたら伝わるだろうかと試行錯誤することが楽しくなりました。 まだまだ学ぶこと多く、他の人の文章を読んでは刺激を受けています。 僕の文章でお金が頂けるのであればそのお金は、他のクリエイターさんの有料記事購入に使わせていただきます。