挑戦するということ。
挑戦するって、なんだろう。
夜ごはんを食べている時、ふと考えた。
一般的に、「挑戦」というと、ある出来事に対して前向きにやり始めるというイメージがある。
果たしてそれだけだろうか。
私は、何かをやめる、何かをやらないという選択をする事も、挑戦なのではないか、と思うのだ。
そんなしょうもない事にうだうだ言ってんじゃないよ、と言われそうだが、
私にとってこれは地味に大切な違いで、
「新しくものごとを足す」
という考え方だけでなく、
「自分に不必要な要素を引く」
というのもまた、同じくらい大切なことではないのか。
そんな事を思いつつ、カレーを頬張った。
家ではお馴染みの、大量のダイコンサラダとともにいただく。
農家の皆様には本当に頭が上がらない。
人は毎日、何かを口にしているが、その一つひとつの素材がどのような過程を辿って目の前に並んでいるのかを気にする人はごく僅かである。
現在の日本では、運良く多くの人は、充分な食事と身の安全が担保されている。(もちろんどの世界にも例外というものは存在する事は否定しない)
しかし、そもそもその前提がなければ、人々は生きるのに必死になり、ひたすらに食と安全の確保に努めるだろう。
そして安全な日常という前提があってこそ、人は新しい事を始める決断をする事ができる。
何かをやめる決断をすることができる。
何かに挑戦するとは、そういうものだと思う。
形は様々あれど、私は将来、そんな挑戦を支える、「誰かの日常」になりたい。
そんな事を思った1日であった。
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