彼が手を差し伸べれば

私はこの世界とのつながりが弱い。だから生きていることに執着なんてないし、懸命に生きることを良しとし、自ら死んでしまうことを悪しとするこの世界の風潮が、私にはひどく歪なものに見える。


「いざとなったら死ねばいい。」


その程度の考えで生きているからだろうか。私は生きている中であまり苦痛を感じない。自分の感覚がガラス一枚隔てた、水槽に垂らした色彩の躍動のように見える。心がもはや死んでいる、とかいう説もあるが。逃げ道があるというのは心の拠り所になるものだ。


学生時代の部活は嫌になったら辞めたらいい。学校だって嫌になったら辞めたらいい。バイトだって、会社だって。辞めてしまったっていいと思う。私の考えでは、その仲間として「人生」がいる。人生を辞めることは、いつも私に寄り添ってくれている。普段は何も言わないけれど、その時が来たら優しく手を差し伸べてくれるのだろう。
これまでの人生で数回、彼は心配そうにこちらを見ていたことがあった。いよいよ自分の出番なのか、それともまだ寄り添っているだけでいいのか。彼が決断し手を差し伸べた時、私にはきっと考える力はもう無い。だから彼の決断は私の決断となり、彼の行動が私の行動となる。それも悪くない。


私はあと何年生きるのだろう。何年生きなければならないのだろう。この途方もない一分一秒を。私もいつか、これらを惜しく恋しく思う日が来るのだろうか。

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