閃光 第一話 First contact
激しい雷鳴だった。
カケルは突然降り出した雨に慌てて家の外へ飛び出すと、すぐ隣の倉庫――父親が毎日籠もりきりになっている工房――へ走った。
とうに日の暮れた町は、それでもあちこちを街灯が照らし眩しいくらいだ。貨物列車の走る音を遠くに聞きながら、倉庫の2階へ続く外階段を上ると、扉に打ち付けただけの簡素な看板に【工房:STROBE】の文字。その斜め下には、今にも風に吹き飛ばされそうな「機械修理受け付けます」の張り紙がある。実際何度か飛んでいった後なので、その度にカケルが書き直しているものだった。
「父さん、もう閉めた方がいい」
僅かに開いていた扉から顔を出して声をかけると、父親の後ろ姿が見えた。がっしりとした背中は、幼い頃に見たそれと比べると幾分猫背になっているようだった。鉄の錆とオイルの匂い。着古した作業着。見ると手元を照らす小さなランプだけがゆらゆらと灯っている。倉庫の電灯を点ければいいものを、昼間から集中していて忘れていたに違いない。そのうち目が見えなくなると脅したところで、彼は息子の言うことなど聞かないのだ。……いや、そもそもそれほど熱心に説得したことも無かったが。
ふう、と溜息が聞こえたのを確認して、カケルは床に散らばった金属部品を拾い集めて小さなコンテナに放り込んだ。
「おい、もっと丁寧に扱え」
「……分かってる」
とは言いながら、拾った部品が柔な素材でなければカケルには大して重要な指摘ではなかった。以前誤って分解途中だったロボットの腕のパーツを取り落としてしまった時は、あまり激高することのない父親も無言でとんでもない重さの拳骨をカケルの頭にぶち込んできたが……。多少の傷がつく程度は、こんな小さな工房では気にするほどの問題でもないだろう。
カケルの父親――コウヤは、息子の適当な返事に眉をしかめると、修理中の機械人形を布で覆ってからランプの灯りを消した。
* * *
木製のテーブルに並べられたスープから湯気が上っている。雨で濡れたまま席に着いたカケルに、コウヤはタオルを放り、自身もガシガシとその茶色い髪を乱暴に拭う。カケルは投げ渡されたタオルをただ頭にかぶせるとスープに口を付けた。
母親はカケルがまだ幼いうちに他界し、はじめの頃はコウヤもなんとか料理のようなものをしたことはあった。が、お世辞にも上手いと言えたものではなく、自然とカケルは家事全般をこなすようになっていた。
「いただきます」
「……いただきます」
コウヤが手を合わせると、すでに食べ始めていたカケルもなんとなく手を合わせて小さく呟く。改めて見るとすでに寝間着のようだった。風呂に入った後なのに雨の中出てきたのかと呆れながら、念のために問いかける。
「お前風呂は」
「……もう先に入った」
「そうか……風邪引くなよ」
特に仲が悪いわけでもなかったが、ここ数年笑い合って話すこともなくなった。父親と息子だからなのか、母親が健在であればあるいはもう少しまともにコミュニケーションを取れていたのかもしれない。15年も――彼女を亡くしてから飛ぶように時間が過ぎたが、未だに胸の奥に残るやり切れない気持ちが、カケルとの距離を遠ざけているのかもしれなかった。
「――何だよ」
無意識に食事の手を止めてカケルを見つめていたらしく、訝しげに上がる声は、しかし思春期特有の嫌悪感とも違うようだった。
「……いや、また母さんに似てきやがったなと思っただけだ」
「父さん似じゃなくて何よりだ」
「うるせえな、ガキはさっさと食って寝ろ」
言ってから、コウヤはしまったという顔になった。カケルのやや褐色の肌色はコウヤとさして変わらなかったが、すらりとした体躯と真っ直ぐな黒い髪、青い瞳は記憶の中の彼女を彷彿とさせるものだった。さすがに女性より幾らか筋肉質ではあったが。コウヤほどガタイが良いわけでもないので、家事はともかく、力仕事があるとつい息子を庇うように率先して体が動いてしまう。それが悪いとは思わないが、カケルが十歳の頃には何かの弾みでついに「俺は母さんじゃない!」と言わせてしまったことがある。
さすがにもう十八にもなれば怒鳴り散らすこともない。が、カケルは呆れた顔で何も言わずに早々と皿を平らげて席を立つ。
「“おっさん”は、洗い物ぐらいしてから寝てくれ」
「わーかったよ」
バツの悪さで了承しながら追い出すようにひらひら手を振ると、二階へ上がろうとしたカケルも後ろ手に手を振り返してきた。もうすぐ高校も卒業だが、進路を聞けば工房を継ぎたいと言っていた。驚きと嬉しさでそのときは何も反対こそしなかったが、周りの同級生はほとんどが進学を決めている。
「俺と違って母親譲りの頭があるんだから、大学行きゃいいのになあ……」
ぼやきながら、コウヤは窓の外で降り続ける雨を見つめた。
* * *
幼い頃から父親と二人暮らしだった。
カケルが知る母親は、ただ一度優しく頭を撫でられたようなおぼろげな記憶だけだったが、コウヤが自分を見て母親に似ていると言うと複雑な気持ちだった。
母親について詳しく聞こうとすると毎度はぐらかすくせに、カケルの青い瞳に面影を見るコウヤの顔はいつも優しかった。いつだったか、どうしようもなくその柔らかな視線がいたたまれなくなって家出したこともあった。がむしゃらに怒鳴った自分を、それでもコウヤは優しく抱きしめていた。
二人は間違いなく愛し合っていたのに、なぜ何も教えてくれないのか……十八歳になったカケルには、もうそれ以来問い詰める気も起きていない。
唯一カケルの母親が遺した手帳には、日記と共に解読不能な数式と文字の羅列が並んでいる。日記部分はカケルも飽きるほど読んだが、その数式についてはコウヤでもさっぱり分からないようだった。今やその手帳も、コウヤの作業場の引き出しで長い間眠ったままになっているはずだ。
雨は依然として降り続いている。天井を貫かんとする豪雨と地響きのような雷鳴が睡魔に連れていかれる瞬間、そこに母親の幻が見えた。
「ーーカケル」
それは雷だったのか、それとも夢が見せた幻の延長だったのか、一瞬ホワイトアウトした視界にふと違和感を覚えてカケルは微睡みから目を覚ます。
「うおおおやった!やったぞ!成功した!!」
「……?!」
視界の先で窓を背にガッツポーズを掲げたのは、長い金髪を無造作に束ねた華奢な少年……いや、少女だった。一体どこから、とカケルは身体を起こしてベッドの背に後ずさりながら相手の様子を注意深く見守った。作業着のような格好から一瞬男かと思い違いしたが、白いタンクトップを持ち上げる胸元の膨らみを見る限り間違いなく女だった――偏見というわけではなく、咄嗟にそう識別したのは長らく父親の作業着姿に見慣れているからだろう。
「おい、……」
何やら興奮気味に自分の手のひらや部屋の様子を見渡している少女に、カケルは何から問いただせば良いのか言葉に詰まってしまった。少女はようやくカケルと目を合わせると、しばらく静止した後にびしりと指さしてきた。
「お前!ちょっと協力しろ!」
「はあ?」
腰に下げたポーチをごそごそ弄って、少女が見たことのない装置を片手にカケルに近づいてくる。十五センチほどの細長い機械には、中央にカプセルのような空洞が見て取れた。ピッと何かスイッチを入れた音がする。思わずベッドの上で更に後ずさったカケルを見て、少女はにやりと口元を歪めた。無性に腹の立つ顔だった。
「なんだよ怖いのか?」
「説明しろ、お前はどこのどいつでどこから俺の部屋に入ってきたんだ」
「ヒューズだ、ちょっと採血するだけだから安心しなって」
「採血?おい触るな――」
図々しくベッドに乗りだして、少女――ヒューズは想像よりも力強くカケルの腕を引っ張り寄せた。得体の知れない機械をそこに押しつけられて、カケルもさすがに冷や汗をかいたが、採血と言うからには何か妙なことが起きることはないだろう。
――と思ったのもつかの間。
「あ、やべ」
焦ったようなヒューズの声が小さく聞こえたところで、浮遊感が全身を襲う。文句の一つでも言ってやりたいが、カケルは得も言われぬ気持ち悪さにただ胃の中身をぶちまけないよう奥歯を噛むしかない。見ればヒューズも僅かに顔を歪めて黙りこくっているところで、どうやら”採血”とやらが失敗したわけでは無さそうだった。吐き気に耐えている数秒の間に視界はホワイトアウトしていき、無意識に掴まる場所を探してヒューズの腕をやっと掴み返すと、カケルはそこで意識を失った。
――無人になった部屋の中では、ただ雷鳴だけが響き渡っていた。
To be continue...
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