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閃光 第四話 Arrest

 遠い昔。人類が月面着陸を果たして歓喜していたその頃から、彼らは火星への移住を目指し始めていた。

 研究者の間ではそれが可能かどうか気が遠くなるような論戦と開発が続き、漸く誰もが「事実上不可能」と判じてからも、地球と同じ環境が備わっている衛星を探し求めていた。

 そんな中、地球は突然崩壊へのカウントダウンを加速した。……いや、加速していることに人類が気付いた、と言うべきか。

 きっかけは何だったのか――大気汚染か、公転周期の乱れか、地盤の歪みか、それは人類が引き起こしたものなのか、あるいは人類も自然の摂理に従った生き物であるならば……あらゆる憶測も証明されないまま、早急に求められたのは「命の存亡を懸けた地球からの脱出」。

 度重なる災害、異常気象、有害物質の発生はそこに住んでいた生命を急激に減少させ、人類も例外ではなかった。崩壊の恐怖から人心は乱れ、安全な大地を求めた戦争は加速し、死の一途を辿る世界の惨状に拍車がかかる。

 “星の悪夢”と呼ばれたその数年間。事実上不可能とされた火星への移住が各地で半ば強制的に決行されるまでそう時間はかからなかった。ほとんどの国は共同で火星への輸送船を作り続けたが、地球とともに死ぬか、火星移住が確立されずに宇宙の藻屑となるかは個人の判断に任されることになる。

 そしてその移住計画は――数十億人の犠牲とともに、失敗に終わる。火星の環境改善を図った研究チームによる人為的な大爆発が、火星全体を取り巻く大気に恐るべき毒素を撒き散らしたのだ。

「明日、世界が終わるならどうする?」

 かつて、まるでおとぎ話のように語られたその言葉を、この時彼らは毎日心の中で必死に唱えていた。それは決して空想でも正気を失ったのでもない。大爆発から更に数年後、地球には人口約十数億人が取り残されたまま、希望はただ巨大な人工衛星の打ち上げに託された。

* * *

 キッチンが備え付けられた小さな部屋で、ヒューズが話し始めたのは安い映画のあらすじのように聞こえた。メイが淹れたてのコーヒーを2人分机に置いて、自分はシンクの縁に凭れ掛かって一口含む。

「その人工衛星が…この…」

「そう、正確にはその人工衛星はいくつかあったんだ。とりあえず地球から出ないことには生きていけねーって土地も沢山あったらしいからな。打ち上げた何機もの人工衛星が長い期間を経て少しずつ繋がれて、増改築されて、あたかも地球のような衛星になるまで数十年かかった」

 たった数十年で。そうせざるを得ない状況に堕とされて、人類の技術は飛躍的に進化したのだ。――これが真実未来の話だと言うなら、ではある。現実味は無かったが、しかしカケルは確かに見た。空を突き抜ける鉄の塔と、張り巡らされる鉄線を……その見慣れない人工の空を。

「……とりあえず、ここがどんな場所なのかは大体分かった…分かったが、俺がここに連れてこられた理由には全く結びつかない」

「ああそれは」

 ヒューズが笑顔で答えようとした瞬間、小さな部屋の扉が乱暴に開けられる。

「ヒューズ!親父さんの“兵隊”だ!」

 ドアノブと同じくらいの背丈しかない少年が、焦りながらもやや声を抑えて告げる。対してヒューズはそれを聞いてもあまり焦っていないようだった。警告してきた少年に頷いて「思ったより遅いくらいだな」と呟くと、手招きで呼ばれてカケルは椅子から立ち上がる。

「ちょっと狭いけどここでじっとしてればお前は大丈夫だから、動くな」

 キッチンの床下の板を外して見せるヒューズ。それほど深くはないが簡易的な梯子がかかっており、奥に保管食料と思われるものも置いてあったが、意図的に少し広く掘られているようだった。

「目的はこいつなんじゃないの?」

 それまで黙って話をきいていたメイが、責めるような視線をカケルへ送る。ヒューズは頷いた。

「だからだ」

「……」

 さらに問い詰めようとしたメイは、ヒューズがさっさと部屋を出て行くのでため息をついた。もう一度こちらに目を遣ると、早く入れと顎で促した。こちらに来てから指図されてばかりだなと少し辟易しながら、まだ状況も分からない中では不本意でも彼らに頼る以外選択肢がない。カケルが床下へ降りて板を元通り塞ぐと、程なくして物々しい話し声が聞こえてきた。

『――ヒューズ、先ほど基幹塔に侵入した後、少年を連れていたな』

『そうだっけ?』

『監視ログには生体データの反応が無かった。それだけで重罪人だが差し出せばお前の父親に免じて不問にしてやろう』

『バグってたんじゃねーの?』

『加えて重要保管機構の転送ポートの本体に傷が付いていて、鍵がロックされていたんだが……心当たりがあるだろう』

『ねえよ』

『あくまで黙秘するなら連れてこいとの命令だ』

 途端に騒がしい音と、「ちょっと!」と抗議するメイの声が聞こえる。どうやら、メイが言ったように目的はカケルだったらしい。会話から察するに、先ほど一悶着あった塔の研究員だろうことが分かる。しばらく押し黙っていたが、物音が聞こえなくなった所でカケルはすぐに部屋を出た。

 一歩外へ踏み出たままで立ち尽くしていたメイと目が合って、彼女は眦をキッと上げるとカケルの胸ぐらに掴みかかってきた。

「なんであんたのためにヒューズが掴まらなきゃいけないのよ!」

「……あいつはどこに行った」

「連れて行かれたわ、しょっちゅう“やらかして”捕まる奴だけどあんなに物々しい雰囲気初めてだった…後ろに控えてたのもたぶん軍の連中だと思う」

「軍?…ここに連れてきた理由もまだ聞かないうちから何大層なもんにとっ捕まってるんだあのお姫サマは」

 思うような答えが得られずカケルが外に出て行こうとして――その腕を強く引かれた。

「っ…待ちなさい!!」

 振り返ったカケルに、メイは戸惑ってしばらく口を噤んでいたが、確かめるようにその蒼い目を見つめる。

「……もしかして助けに行ってくれるの」

「助けるんじゃない、この状況で元の場所に帰る手がかりがあいつしかいないだけだ」

 それに、とカケルはため息をつく。

「俺としては全ての諸悪の根源はあいつだが、あんたにしてみればヒューズが捕まった原因は俺なんだろう」

「それは…そうだけど……。…そうね、じゃあ着いてきて」

 問い詰めた相手の口から原因が自分だと言わせたことで冷静さを取り戻したのか、メイはカケルから手を離して僅かに口の端を上げた。

 既視感があるそれは、金色の目をした彼女がよく見せる表情に似ていた。

(心配してたんじゃないのか、こいつ…)

 ――類は友を呼ぶ、とは言うが。そうなると引き寄せられた自分も同類だと認めるようで、面倒ごとが増えるのはまっぴらごめんだとカケルはその言葉を忘れることにした。

* * *

「自分が何をしたのか分かっているのか、ヒューズ」

 両手を後ろで拘束されたまま、ヒューズは冷たい椅子に腰掛けていた。

(ああ…あいつ怒ってるかな。結局重要なことは何も説明しないまま置いて来ちゃったもんなあ…)

「フラフラとしているとは思っていたが、最近はガラの悪い連中ともつるんでは輪をかけて悪評を広めているようだな…身内としては良い迷惑だ」

(肌も髪も黒くて、けど綺麗な青い目だったなあ…まるで…)

 ――まるで、海の底から煌めく水面を見つめているような。

 飄々とした態度で男の問いかけをスルーしていると、彼は視線をヒューズの側で控えている軍服の青年へ向けた。手にした“おもちゃ”の銃口が向けられて、すぐにそのまま一撃が放たれる。

「っ…!」

 腹部に電撃が走る。さすがに無視できる痛みではないが、ヒューズはもはや慣れた様子でニヤニヤと笑うだけだった。

「こんないたいけな少女にも容赦ないなんて、まさか“お父様”にそんな趣味があったなんて知らなかったなあ」

「それはこちらの台詞だな」

 煽られて少しも激高しない男に、なんのことだかとヒューズは肩をすくめる。

「“アレ”は今簡単に使用できるような状態ではなかったはずだが」

「あーそう」

「連れ帰った少年は何者だ」

「ただの事故だって」

 埒が明かないとばかりに男が深いため息をついた。

「地下に繋いでおけ」

「……は?」

 ようやく顔色を変えたヒューズを見て、男は冷たく見下ろすばかりだ。とても実の父親とは思えないその姿は、しかし二人の関係を知るものであれば日常茶飯事であることは周知の事であった。

 男の言葉に従った青年がヒューズを乱暴に立ち上がらせると、数名で取り囲まれてその白い顔が青ざめる。

「冗談だろ!何マジになっちゃってんだよ!!」

「冗談だと?」

 先ほどまでの呆れた顔ではない。男は心の底からヒューズを突き放した目で見遣ると声を落とした。

「お前こそその冗談で“また”事故を起こしたいのか」

「あんなことはもう起こらない!!!」

 一際強い口調で怒鳴ったヒューズに一瞬男は言葉を詰まらせた。

 当の本人は何か耐えるように俯いてしまって、互いの表情は読み取れなかった。しばらくして、足音が遠ざかっていくのを聞きながら、項垂れたヒューズは視界に入る長い髪を見つめて唇をキツく噛んだ。

「もう…戻らない…」


To be continue…


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