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ライフ イズ ビューティフル

夕暮れ時になると思いだす
冬の岸辺にウミネコ一羽
死んだ魚をついばんでる



大人しい子供だった
保育園のころ いじわるな女の子がいて
毎日先生たちに見えないとこで つねられたりしていたのに
それを口に出して云えない子供だった
泣いたら負けだと思って 泣かないでいたら
平気なんだと思われたのか さらにひどくつねってきたりして
普段は明るいいい娘で通ってるから 誰も気づかない
親にさえ云うことが出来なかった
そういう子供だった


同じことをしているのに なぜだかいつも
怒られる役回りばかりだった
本当は通っちゃいけない道なんだけど
近道だからこっちに行こうよと
その頃仲良しだった娘と一緒に通って行ったのに
あたしだけがひどく怒られて
誘ってきた当の本人は シレっとした顔して笑ってた
本当はあの娘だって一緒に通ったんだって
云えばよかったんだけど
なんだか言い訳してるみたいで嫌だったから云わなかった
損な役回りばかり押しつけらてる
大人も最初っからあたしが悪いと決めつけてかかって
何も云えないのをいいことに好き勝手云われていた
そういう子供だった


いい子ちゃんだった
先生に気に入られたくて せっせとドリルを解いては
学校で見せびらかしていた
今日はここまでやってきました
昨日はここまで
頑張ってるでしょ スゴイでしょ
みんなこんなには頑張ってないでしょって
暗に気づいてもらいたくて 認められたくて必死だった
そういう子供だった


出来ることと出来ないことの差が激しすぎた
勉強は好きだった
保育園のころにはすでにひらがなはすべて覚えていたし
小学校のころは算数が好きだった
ひとつ問題が解けるたびに喜びを感じた
体育の時間に 校庭を一周駆けまわるというのがあって
その中に アスレチックみたいなⅯ字型網が張ってある遊具があって
そのⅯ字の頂点のところでどうしたらいいかわからなくなり
立ち止まっていると 同級生たちに次々追い越されていき
はっきり 自分が運動に向いていないことを思い知らされることとなった
もう一周と云われたけど あたしだけやらなくていいよと云われ
なんだか複雑な気持ちで同級生たちが走っているのを眺めていた
そういう子供だった
 
読書はあまり得意ではなかった
何が面白いのかもよく解らなかったし
文字を読むと頭が痛くなるという奇病に襲われていた
それでも好きな本もたまにはあるもので
若草物語のベスが瀕死の病に侵されたシーンは
何度も何度も繰り返し読み返していた
学校の図書館で借りてきた三銃士と巌窟王は
展開が面白くて 先を読むのが本当に楽しかった
子供のころの読書体験といったらそれくらいで
国語の授業は あまり好きではなかった
テストでここの箇所が差しているものは何ですか?と聞かれて
ここかな、と思って解答すると 必ず×が返ってきた
なんで? ここじゃないの? とずっとモヤモヤが止まらず
だから必然的に国語が嫌いになっていった
そういう子供だった

友達作りは下手くそだった
というか どうやったらいいのかまるで見当がつかなかった
周りがどんどん誰かと親しくなっていく中
あたしはただ ひとり呆然とそれを眺めてた
輪に入ることができなかった
仲間に入れて ということもできなかった
自分から云うのもなんだか気が引けるし
拒否られたらと思うと なかなか声に出して云えなかった
向こうから誘ってくれるのを待っているような
そういう子供だった

早く大人になりたかった
早く大人になって ひとりで生活できるようになりたかった
家から早く出たかった
家にはどこにも息をつける場所がなかったから
大の字になって眠れる場所がほしかった
別になりたいものなんて なにひとつなかったけれど
それだけが唯一 なりたい自分だった
なってみせるとと頑なに信じ 新たな生活に胸を躍らせていた
そういう子供だった


大人になっても あまり変わらなかった
容赦なく現実を突き付けられた
世の中は結局美人で可愛い娘が得するように出来てる
どんなに頑張って仕事しようとも
地味で目立たない女に注目する人間はいないのだと
ああ ここでもやっぱりそうなのかと
だから 人とも適当に距離を置いて過ごしていた
誰かが集まれば 必ずいない人の悪口大会
辟易していた 悪口で結束する関係って何なんだよと
あたしはもう 子供ではなくなっていた

毎日死ぬことばかり考えていた
どうせ未来なんてたかが知れてるし
あの母親の延々と続く愚痴と暴言に
耐えていける自信もなかった
完全自殺マニュアルという本を買った
発売当初は特に何事もなく普通に読むことが出来て
いろんな自殺方法をメリット・デメリット両面から描かれていて
なかなかに興味深かった
死に方さえ知っておけばいつでも死ねる
そう思うと 心なしか少しばかり安心できた
あたしは少しずつ 心が病んでいたのかもしれない


いくつかの出会いがあった 
あるときはネットで あるときは職業訓練校で
一緒にディズニーシーに行ったことだってある
長野の教会に泊りがけで行くのに
一緒に行く予定だった人が行けなくなったとかで
何故かあたしが一緒についていったことも
熱心な信者の彼に対して あたしはそっち方面はまったくだったので
朝昼晩のミサにつきあわされるのは勘弁だったけど
提供される料理は格別に美味しかった
そんなことも 今ではいい思い出?ってことになるのかな
みんな付き合ってるときはやさしかった
だけど別れる時は 何故かみんな怒っていた
彼らが何故怒っているのか あたしにはわからなかった
わからないから怒っていたのかもしれない
あたしが彼らに怒らせるようなことをしたということなのか
ならば云わせてもらうけど
そっちだって結構あたしにひどいことしてきたと思うけどな
だからお互い様でしょ 自分だけ被害者ぶるのはやめてほしいわ
人間の怒りのスイッチがどこにあるのか
まったく検討のつかないあたしなのでした


          夕暮れ時 長い長い影法師が
          いつまでもあたしのあとをくっついてくる
          あたしはなんだかちょっとイラついてきたので 
          思いっきりその影を踏んづけてみたけど
          影はうんともすんとも云わず
          なおも健気にあたしのあとをくっついてくる



生きるのが いやでいやでしょうがないのに
アマゾンで予約してたエレカシの新譜が届いた
私の買ったものなんかいらないものと吐き捨てる母親に
それでも財布がボロボロになってきたから 新しいのをと
寒くなってきたし 暖かい帽子があればいいかもな とか
またいらないお世話に ポチってる自分がいたり
イライラがおさまらなくて 怒りが静まらなくて
こんなどうしようもない思いを詩にしたためたりして
こんな自分を優しいと思いたいけれど
多分本当はものすごい意地の悪い人間なのだろうと
開き直ることもできない中途半端なあたしなのです


生きているから死ぬことを考える
じゃあ死んだら もう何も考えなくていいのかな
生の中に死はあるけど 死の中に生はない
冷たい石の下で 一緒になりたくもない人間たちと
また不満たらたらで過ごしているに違いない
お墓なんて この時代
本当に必要なのか なんて
罰当たりなことを考えてしまうあたしです


気の合わない人と無理して一緒にいる必要なんてない
嫌な思いを溜め込んで 誰かを捌け口にするくらいなら
捌け口にされてストレスで また違う誰かを捌け口にして
そんなの誰も得しない


もし死ぬんなら その前にぜひとも
中島みゆきの夜会は全部観てから逝きたいし 
エレカシのライブ 今年は野音外れちゃって配信で観れたけど
また行こうねって約束した友がいるし
映画行こう 美味しいもの食べに行こう どこかへ行こうって
こんな友達の作り方もわからないような人間でも
あたしのこと 否定しなかった人たちがいる
だからあたしがあたし自身を否定しちゃダメなんだ
あたしのこと好きになってくれた人たちのために
あたしはあたし自身を 肯定してやらなきゃダメなんだ
死にたいは生きたい
生きたいは死にたい
死にたいまんまだっていいんだ 否定する必要なんてないんだ
それでも生きてさえ 生きてさえいれば
全力で死を引っ張りながら これからもあたしはきっと生きてゆく


そうこうしているうちに 40歳も後半に突入
これから先 どうなっていくだろう
どうなってしまうんだろう
きっと何も変わらないんだろう
何も変わらないまま生きて 死んでいく
それがきっと あたしという人間なんだ




夕暮れ時になると思いだす
冬の岸辺にウミネコ一羽
死んだ魚をついばんでる




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最後までお読みいただき、ありがとうございました
子供のころは漁港の近くに住んでいたので
死んだ魚がけっこう岸壁に転がってました
うちの中がごたごたしてるときは
必ずこの岸壁に来ては
夜空の星たちをずっと眺めてました



#詩 #子供時代 #現実社会 #損な性格 #死にたがり


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