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藻掻くことをやめてしまったら沈んでしまう

こんにちは。

ようやく、複雑性PTSDと診断がついて、それによってどんな事が起きているのか、今どんな症状があるのかを文章と言葉で説明してもらった。
すごく納得出来る理由、説明で、「あぁ、やっとわかってもらえたんだな。しかもこんなに細かく」と、文字を読みながら説明を聞きながら、安心した。

けれども、やはり精神科に通い始めて8年目、
最初は神経性やせ症で、次が愛着障害で、その後
発達障害(ADHDとASD)が悪さをしているとなり、それの二次障害として全てが片付けられ、うつ症状や気分の変動もストレス性だと言われたり、自己破壊行動や破壊的な行動をしてしまい、最終的にはパーソナリティ障害という診断がつけられ、振り回しや操作性,行動化するのは何でも思い通りにしたいからだ、と言われ、我慢とひたすら自己と向き合う日々が約2年は続いた。

私が、社会に反することをしてしまったのならば、それは病名や症状で片付ける事無く償うべき事だと思う。
また、それと同時に複雑性PTSDは免罪符では無いことは100も承知している。

ただね、今まで全くトラウマに関する事が理解されず、それすら病気から逃げる理由にしているとされ、診断名で安易な差別をされた事はやるせない。
精神科に通いながら、同時に精神科からも傷をつけられてきたのだ。

全てに怒りたい気持ちもある。
悲しくもある。
何より悔しい。

これが、事実で私の妄想じゃないんだっていう事が分かったけれど、ふとした時に「現実であり事実」ということを分かると、私悪いことしたかな、してないよね?なんで… という気持ちになる。
そして、不穏な感情が出てくると、やはり自分はどうしようもない人間だと感じ、治さないで消えてしまいたいと思ったりする。

やっぱり自分が悪いんだって思ってた方が楽。その時も苦しいけれど。
人に傷つけられたなんて思いたくないじゃん。
やっぱりこいつの妄想だろって笑われてた方が、わたしらしいじゃん。

すべての原因が周りにあるとは思わない。
自分にも非があり、環境や他人との相互作用で仕方なく起こってしまったと。

私の人生返してほしい。

トラウマ系の話は、世間にはもっと理解されないだろう。努力次第でどうにかなる。過去は変えられない。実際、医療従事者にもそう言われてきた。

でもね、脳の「扁桃体」が機能しなくなったり、
私の気持ちや性格ではどうにもできない状況が目の前には広がっている。
すごく疲れた。

診断がついた安心感から、藻掻くことをやめてしまいそうだが、それを辞めてしまったらきっと沈んでしまう。病気との付き合い,治療を含めて、これからも藻掻いていくしかない。自分で、安心や安全を確保出来るまでは。

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