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“気分上々な私”になるための習慣を、 コツコツ続けていける自分になりたい

“気分上々”なんていうと、20年近く前に流行った曲が耳の奥で響いてくる人も少なくないと思うが、私のいいたい“気分上々”は、それとはちょっと違っている。

そもそも“気分”を辞書で引いてみると、“漠然とした”とか“比較的軽度”の感情のことであると書かれている。
そこで“気分上々”というのは、その曲がイメージさせる“めくるめく興奮状態”を表すものではないと私は思ったのだが、いかがなものだろう。

他人の思惑や日々起こる出来事を、要らないものはさらりと流し、感じることをおろそかにせず、味わい楽しむことができるとき、私はそれを“気分上々”な状態といいたい。
甘々な交流、スパイシーな人との関り、ほろ苦な親子関係、気の置けない仲間との付き合い、誰といても、どんなシチュエーションでも、どの役割の自分であっても、内側の私は、“気分上々”でいたいと思う。

“気分上々”を維持するには、カラダの状態が大きく影響することは明白だ。辞書、辞典にもこうある。
“気分”は、『全般的な身体組織の機能に依存する比較的軽度の感情状態。健康状態と密接に関連する・・・』(ブリタニカ国際大百科事典より抜粋)。

例えば私は、些細な事が気になるようになったとか、それまで意識もしていなかったことを腹立たしく感じるようになったと思ったら、3日間、何をおいても睡眠を最優先にしてみる。

夕飯を食べて、洗い物をしたら、ケータイを閉じ、楽しみにしているドラマは録画。「楽しいことが何もない」と泣き言をいう頭の声を無視してベッドに入ると、さっさと明かりを消す。
頭が興奮して寝られないと起き上がったときは、あえて難解な本を手に取り、これを機会に少しでも内容を理解しようと努めてみる。
頭に入ってこない文字の羅列を追うという行為の睡眠効果は高い。柔らかい枕に頭をうずめるまでに、大して時間はかからない。
2晩目、3晩目も、頭の中は文句たらたら。
それでもベッドに入り、目を閉じてしまえばこっちのもの。
4日目には、何ともすっきりした私が目を覚ます。

状況は何ひとつ変わっていないのに、腹立たしい気持ちはどこへやら。
たっぷり休息をとったカラダは緩み、怒りを持続させる器にならない。これが正しい、こうでなくてはなんていう思考の枠を維持するには、ガチガチに固まったカラダが必要なのだろう。
正しいがなければ、間違いもなくなり、その結果、怒る種はどこへともなく消えてしまう。
大体において怒りなんてものは、その裏に不安が隠れているもので、不安に歪んだレンズが外れれば、意地悪く歪んで見えた顔が、実は笑顔だったと気付いたりもする。

こうして“気分上々”を維持できれば、まさに“上々”だ。
けれど時に、頭の声が勝利して“昼間、こんなに頑張ったのだから”と、ずるずるとご褒美タイムを伸ばしてカラダを休める時間を削り、結果、頭もカラダもガッチガチ、思考の枠は狭まり、イライラがカラダの中で膨れ上がっていくなんて事態に陥ることもある。

こんなとき私の中で湧き上がっているものがある。
それは “いまの自分”を否定する気持ち。

“いまのままでは駄目だ”という思いに駆られているとき、自分ではない誰かになろうとして努力するとき、いじめられた人間がより弱い者に拳を振るうように、物言わぬカラダに苛立ちの矛先を向けてしまう。

だらだらとご褒美タイムを引き延ばし、ご褒美おやつを、ご褒美ドリンクを摂る選択はカラダに対するいじめに他ならない。

こうなると、自分で止めるのが難しい悪循環のスタートだ。

カラダの調子が下がれば、それは気分にネガティブに反映され、ネガティブな気分がモノの見方に影響し、歪んだ見方はネガティブな事象を引き寄せる。
それがわかっていながら、時にネガティブループにハマり、抜け出せなくなる自分がいる。

でも、そんな時に思うのだ。なんて勿体ない時間の過ごし方なのだろうと。
私に与えられた時間は限られているのに、何を好き好んで、こんな“気分”で生きているの?

好ましい“気分”は自分で作るしかない。
私は、自分に確認する。
“頭の声”にかき消されがちな“カラダのささやき”をきちんと汲み取れているか。
自分は、自分にとって世界一の味方でいるか。
役割に重きを置いて、私を軽視していないか。
そして私は、悦び、楽しむために生まれてきたのだということを、ちゃんとわかっているかと、自分に問い直してみる。

精選版 日本国語大辞典より、
“気分”
⑤仏語。習慣的な行為によって性格づけられ、心中に蔵される精神的エネルギー。これがまた、特定の行為を生み出す力になる。

正確な意味はわからないけれど、これを読んでやっぱり“習慣”なんだ!!と思った。
だから“気分上々”な私になるための習慣を、何度挫折しようとも決して諦めずに続けていく、そんな自分に私はなりたい。


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