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高専生のときは繊細な自分に悩んだけど、いまはHSPを受け入れているし話を聴くことが得意だ

19歳だったわたしは、ある日の授業中、具合が悪いと言って保健室に向かいました。
保健室のベッドにへたり込み、泣いてしまったわたし。
そのとき、保健室の先生に「あなたは繊細なんだよ」とやさしく言われたことを思い出します。


わたしは、高専(工業高等専門学校)を卒業。
5年制の学校で、16歳から20歳くらいの学生が在籍しているところでした。
20歳くらいとにごしたのは、わたし本人が留年して、21歳で卒業したから。


まあ、頭のいい学生しかいない学校ですから授業はほとんどついていけませんでしたね。
わたしは吹奏楽部だけで志望校を選んだのだから、しょうがないです。

学年が上がるたびに単位を取るのが困難になり、任意の選択授業も履修しなければ進級があやしくなってきた4年生の夏。19歳のことです。


授業で先生に当てられても、問題の解き方もわからないので「わかりません」と言うのが精一杯でした。
勉強についていけない自分が嫌で、次第に登校拒否のような状態に。

バス通学でしたが、バスの中で涙を押し殺し、過呼吸になりながら学校へ向かいますが教室に入れません。
そうして、少しずつ保健室に通うようになりました。


学校医で心療内科の先生が、月に数回カウンセリングをしてくれることをしります。
保健室の先生のすすめもあり、何度も何度も話を聴いてもらいました。

カウンセリングが終わると、必ず保健室のしもちゃんが熱々の玄米茶を淹れてくれて。本当にそのお茶がおいしかったなぁ。


高専生時代は、もう20年以上も前の話。
繊細さんも、HSPという言葉もあまり浸透していませんでした。


40歳のいま、わたしはHSPだと自覚しています。
しかもカウンセラーの資格を取得し、カウンセリング業をスタートさせているんです。

高専生のときは、教室に入れなくなり保健室に逃げたような気でいました。

だけど、あのとき逃げてよかったと思っています。
4年生で留年しましたが、2回目の4年生の仲間はみんなフレンドリーで、浜辺でキャンプをしたほどです。

あたらしい仲間に出会えたことは、わたしにとって大きな転機でした。
卒業できる単位数は、ギリッギリでしたけどね。


留年するまでは、いつも周りに怯えて過ごしていました。
みんなの視線が怖かった。

ときを経て、現在のわたしは違います。

誰かのお話を聴くことが好きだし、一緒に悩んで、悩みを解決するお手伝いをしたい。人に怯えるどころか、対人支援を仕事にしています。

こりゃ、すごいことだ。
わたしはいつからこんな考え方になったんだろう?
わからないけれど、いまはお話を聴く仕事が好き。

ということで、最後に少しだけ宣伝させてください。
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