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【エッセイ】私は生きてる

約10年前の話。

甲状腺乳頭がんの全摘手術を終えた私の体には、点滴などの管がつながれていた。
手術室からベッドごと移動させられて入ったのは、6人部屋の病室の一番廊下に近い一角だ。すでに消灯時間は過ぎているようで、電灯は消され、カーテンで仕切られた隣や向かいからは物音ひとつ聞こえない。
看護師がベッドを固定し、いくつもある管が絡まっていないかチェックする。
「この喉につながってるのはドレーンって言って、手術後、喉に溜まる血を外に出す管なんです」
全身麻酔が解けていないからだろうか、私は体を動かすことができず、目を瞬きさせて返事をした。私の返事を理解したらしい看護師が話を続ける。
「喉の付近を手術すると、痰がこみ上げてきやすいんです。普段よりもせき込むと思いますが、手術の影響で、病気ではないんで、苦しいかもしれませんが、そこは安心してください」
私はゆっくり瞬きをした。

看護師が仕切られたカーテンから出ていった。私は眠ろうと目をつむるものの、時々、咳きこむこともあり、目を開けてじっと天井を見つめた。
少し喉のあたりが重くなってきた。このままだと息ができなくなるんじゃないか。そう思い、ナースコールをした。

枕元に来た看護師に状況を伝える。彼女は喉やドレーンをチェックしたようだ。
「特に変わったことはなさそうです。少し様子を見ましょう。今よりも苦しくなるようでしたら、ナースコールしてください」
そう言って、カーテンを開けて出ていった。
眠れない私は天井を見つめ続けた。だんだんと喉に何か重しを乗せられているような感覚になってくる。
再びナースコールをした。

私のベッドの横に立ち、ドレーンをチェックした彼女は慌ただしく出ていった。

戻ってきたときは、上司らしい看護師と手術に立ち会っていた副担当の医師が一緒だった。ドレーンを持ち上げた医師は表情が険しいように思えた。

「ここに溜まっていくはずの血の量が少ない。喉に血が溜まっていっているのかも。このままだと喉がふさがってしまう可能性がある」
医師は私の足元で見守る看護師たちを振り返る。
「執刀した先生を呼び戻すから。もしかしたら緊急手術になるかも」
最後の言葉を発するときは、私の方へ顔を向けていた。
その後すぐに、医師と看護師は病室を出ていった。

再び、医師と看護師が戻ってきて、私に手術の承諾書にサインをさせた。
ペンを返してすぐ、私は軽く咳をした。これまでの咳とは違って痰が絡む。
痰が大きい。そう感じたときには血が溜まって狭まった喉に痰が詰まっていた。
私は大きく目を見開く。息ができない。
すでに副担当の医師と看護師が私のベッドを手術室へと移動を始めていた。医師は人工呼吸器を手にしているようだ。
「息できなくなったら、僕がすぐに人工呼吸器をつけるから。大丈夫だからね」
彼はベッドを押しながら小走りしている。私は叫びたかったけれど、喉が詰まって声が出ない。代わりに睨みつけるように彼を見た。

あほか。今、息できてないねん。はよ、つけろや。殺す気か。ボケ。あほ。

息ができないこと、医師への文句に意識が奪われているうちに手術室に着いたらしい。

目の前で煌々と電灯がついている。周りでは医師や看護師がすごく慌ただしくしているようだ。いろいろな声が飛び交っている。
「麻酔科の先生、来たから。全身麻酔するからね」
「こんな状態で麻酔なんかできへん。痰、取り除くぞ」私の上にまたがるように乗ってきたのは麻酔科の医師だろうか。太い管のようなものを抱えている。その管を私の喉に突っ込もうとしたとき、私は泡を吹いた。
隣に立っていた誰かが私の口周りを拭く。
逆光で良く見えないものの、私にまたがった医師が焦ったような雰囲気をまとい、バキュームを私の喉に勢いよく突っ込んだ。
私の目の前は文字通り真っ暗になった。

あれ、手術室の電灯って消えたん。


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目が覚めると、薄い緑色のカーテンに仕切られた場所に横たわっていた。私の意識が戻ったことに気づいた看護師が、ここはICUだと教えてくれる。
私の腕や鼻には無数の管が刺さっている。
看護師が私の顔をのぞきこんできた。
「今、朝の4時半です。自発呼吸ができなくなってたから、人工呼吸器を鼻から通してます。苦しいかもしれないけど、抜こうとしちゃダメですからね」
そう言われたものの、苦しくはなかった。

時計の針が10時を回ったころ、カーテンから何度も出入りする看護師が私の顔の近くへと来た。
「あと2時間もしたら、一般病室へ戻れますからね。もう少し我慢してください」
最後の言葉は、鼻に通された人工呼吸器を抜こうとしかけていた私への注意だ。
喉がふさがっているときには何も感じていなかったはずの私は、ICUから一般病室へ戻れる体になって苦しさを感じるようになっているらしい。

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