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『短くて恐ろしいフィルの時代』:脳が、お脳が転げてく〜

熟れた柿のようなヴァーミリオン色に、紋章めいたかわいいイラストの表紙。
160ページの薄さで手のひらにすっぽり収まり、飾っておきたいおしゃれな雑貨のような本だ。

物語の冒頭はこんな。

 国が小さい、というのはよくある話だが、〈内ホーナー国〉の小ささときたら、国民が一度に一人しか入れなくて、残りの六人は〈内ホーナー国〉を取り囲んでいる〈外ホーナー国〉の領土内に小さくなって立ち、自分の国に住む順番を待っていなければならないほどだった。

うん、不思議の国を舞台にした荒唐無稽なおとぎ話なんだな〜。
…と思うよね。
まあそんな感じで始まり、ある日突然、小さな〈内ホーナー国〉がさらに縮んでしまい、内ホーナー人はたっぷり広々した〈外ホーナー国〉にはみ出て侵略しちゃって、国境で小競り合いが起こっていく様子がユーモラスに描かれる。

最初にイメージした絵面は、子供のときに読んだ『デブの国ノッポの国』だった(懐かしい、話はすっかり忘れたけど)。

しかし、だんだん内ホーナー人や外ホーナー人たちの外見は、フィラメントやツナ缶、スライド・ラックなどでできているとわかってくる。
廃材を組み合わせた、小学生のへんてこ工作みたいな生き物らしい。

ナンセンスなキャラクターたちが、テンポのいい会話を交わしながら、ナンセンスな喧嘩を繰り広げていく様子をあはははと読んでいたら不意に、あるシーンで、ゾクっと背筋が凍りつく。
これって、笑えないのでは…?
そう、これは作者いうところの大量虐殺ジェノサイドにまつわるおとぎ話”なのだ。

脳を落っことして狂騒的な演説ぶちかます独裁者

平凡な外ホーナー人だったはずのフィル(特徴:ひねこび)は、ときどき脳を固定しているボルトが外れ、ラックから脳が滑り落ちてしまうという癖がある。
そうなると大変だ。
大音声を張り上げ、愛国的でゼノフォビアな演説を滔々とぶちかます。
そこにまともな理屈なんてないんだけど、強い言葉の高揚感が人々の漠然とした不満とマッチして、内ホーナー人たちの排斥がどんどん過激になっていく。

歴史上のいろんな恐ろしいできごとが想起される…現代に起こっているいろんな争いにも思いを馳せる…世界の政治は近年グダグダになってきたような気がしてたけど、もしかして政治ってもともとグダグダなものなのか。
根底に私怨があるというのも、いかにもだ。
この小説が最初に発表されたのは2005年、邦訳が出たのが2011年、そして今年文庫になったのだけど、いつ読んでもリアルタイムに風刺しているように思えてしまうのは、人間のエッセンスを抽出した見事な寓話になっているということだろう。

脳を転げ落として、勢いがいいだけの言葉に酔ってしまってないか…扇動者に踊らされてしまってないか…フィルの滑稽な姿を思い浮かべて我に返ったら、脳を拾ってきちっとラックに仕舞って冷静さを取り戻そう。

それにしてもフィルの狂騒的な言葉の羅列はテンポよくて読んでるだけでおもしろい!
筒井康隆みを感じるな〜。
ほかにも、年をとって記憶が怪しくなった大統領が「もう二度とあのような日々は戻ってこないのであろうな」とばかり繰り返しているのも、“ちょうどいい頭のよさ”の筋肉兄弟の軽薄な会話も、マスコミの言葉の空疎さも、キャラクターたちそれぞれの可笑しみが横溢している。
文章のキレが絶品で、笑えてくるポップな悪夢みたいだ。

訳者あとがきでちょこっと紹介されている、新作のディストピア短篇もおもしろそう!
次の短篇集に収録される予定だそうで、昨年読んだ『十二月の十日』も最ッ高だったので、岸本佐知子さんの訳で早く刊行されないかな〜とワクワクして待つよ。


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