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カンヌ脚本賞「幸福なラザロ」の記事を読んで思い出した従妹フィリス

「幸福なラザロ」序盤の説明を読んでいて、めっちゃ既視感ある。
これは…この既視感は、エリザベス・ギャスケルの「従妹フィリス」だ!!!

テーマはちょっとかなり違う。
こちらのラザロの方は、田舎あるあるで日本でもどこでもありうるお話だ。一部の影響力を持つ人間の支配の呪縛下にあって、逃げられない。

田舎めっちゃあるある。

このあるある感、技術の進歩に関係ないまま取り残されていても、その場にいる人たちは全く気付いていない所がおそろしい。

私は古典が好きで、翻訳による人の目を入れない原本が読みたい!!という欲求が強いので、グーテンベルクさんにはすごくお世話になっている。従妹フィリスは無茶苦茶読みやすいわりに深く考えさせられる所があった印象深い一冊だ。

以下は以前従妹フィリスを読んだ時のレビューの再録。今読むとまた違う感想があると思う。

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従妹フィリスすげー読みやすい。
単語わからないとすぐ検索。
サクサク。
電子テキスト最強。
慣れ過ぎてしまったことを実感した。

そんなに長くなかったから、本当にするっと読み終わった。

農家で牧師というフィリスのお父さんは、朴訥で農家を厳しく取り仕切り、華美を嫌い実を好む人柄だが、知識欲旺盛で若干インテリを鼻にかけている。教義を唱え、講釈を垂れて周囲の人々を断罪する。

フィリスは父親似でインテリ。農家の娘さんなんだけど、ヴェルギリウスとか好きで、ダンテを読みたいらしいがイタリア語がわからない。
エンジニアであって農家の仕事についてもラテン語にも全く触れることなく興味もないポール君はとまどう。

でも基本はイギリスの田舎の農家であることに変わりはなく、そんな所に突然現れた(ポール君が導きいれた)軽薄で明るく、教養もあって見聞も広いというハンサムなミスター Holdsworth。

どうなるかは火を見るよりも明らかだとして、思春期の淡い恋とか・・・ちょっと違う。。かなり違う。
このフィリスは、父親もだけど、物凄く教養に対する誇り、自尊心を持っている。
この田舎で、ちょっと自分たちほどこんなの読める人はいないだろうぐらいに思ってる。
同時に、堅実に毎日をしっかり生きてはいるのだが、そのあたりぷんぷん感じる。「えっダンテも知らないなんて嘘でしょう?」とかいう台詞。はっきりいって鼻につく。

そんな小娘を粉々に打ち砕くのがMr Holdsworthなわけだけど、このさじ加減が絶妙というか、細やかな表現によって目にうかぶよう。
美しい農村地帯の風景も、この従妹一家の微妙さも、図らずも根底からこの欺瞞を全てを打ち砕くポール君のアホさ加減も、全部がお見事。

気になったのは終盤に聖書によるアブラハムの逸話が出ていること。
この子供を神に捧げる父親の話、「神が望むなら子供を自分の手で殺せるか」という額面通りの受け取り方ではないのだなとはじめて思った。
(正直聖書の中でこのエピソード読んだ時はバカじゃないの?意味わからんし、と思ったし、たぶんRPGだと、「そういうことをしろという神が悪」とかいうストーリー仕立てになると思う)
従妹フィリスを読んで、丁寧な描写によって親たちの悲しみをわがこととして痛いほど感じた時に、
神の前に子供をあきらめよというその神託は、愛する子供を失った親の、何よりも受け入れ難い悲しみに対して、厳しく自分を律せよと、その悲しみを内包しても生きている者は生きていかねばならないという、すべての現世の苦しみは神に委ねて、自らは生きよとする
そういった意味合いで捉えることもできるんだなーと。

フィリスの父親が、

'My sins I confess to God. But if they were scarlet (and they are so in His sight),'
'I hold with Christ that afflictions are not sent by God in wrath as penalties for sin.'

て言ったのがとても印象的だった。
はっきりいって、意味はよくわかんないけど、なんとなくフィーリングで。

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