読みかけ「ノートルダム・ド・パリ」 進捗 8 アミュレットのささやき
もはやこのシリーズを覚えてくれている人がいるのかどうか…。
このテキスト、みずからのあやまちにより間違って消してしまっていたので更新するのに多大なる時間を要してしまった。
目次はこちらです。
グーテンベルクのリンクです。(英語版・フランス語版)
フランス語は読めないので英語の翻訳で挑戦。
訳したのはIsabel F. Hapgoodさん
前回までの記事
注:この記事はネタバレです!
本を読んでいると、ここだっ!というターニングポイントがある。
ここに来たらもう続きが気になって夜も眠れない!というところ。途中で放棄はもうできないな、というところ。
それがここだった気がする。
フィーバス隊長のあまりのゲスなぐいぐい押せ押せに、固唾を飲んでフロロ並に凝視してしまった。
前回、「これまでおはなし」的なものを付け加えたのはなぜかというと、エスメラルダの護符(アミュレット)がここで深く関わってきたからだ。
(まだ訂正してないが、母のものというのは間違い。これはジプシーの老婆に占ってもらった時にもらったものだった)
命を助けたグランゴワールと昨今おおはやりの「契約夫婦」になって部屋でお話したときに、エスメラルダの生い立ちが語られたわけだが、その時にこの運命を占う護符の言及があった。
昔なら護符と訳すし、今なら普通にアミュレットと書くのかな?
「もしお前が徳を失わなかったら、生き別れた母に再開でき、お前の身も守られるだろう」というジプシーの予言だ。
もしおまえが「virture」を失わなかったら。
フィーバス君に迫られたここが多分、エスメラルダの運命の一つの分岐点なのだ。
ウェブリオ先生によれば「virture」とは
単純に考えれば「貞操」を指すだろうが、その言葉の背後にある「徳」「美点」はやはり、今までの、グランゴワールの死刑を見過ごせなかったり、カジモドの苦しみを哀れに感じたり(自分をさらおうとしたのにだ)というやさしさも当てはまるだろう。
この「virture」が二重の意味でエスメラルダとフィーバスの間に立ちはだかる。
エスメラルダはためらうが、情熱には勝てない。
熱い愛の言葉をふんだんにフィーバスに浴びせかける。
フィーバスはくそだが、言われてる相手がくそだからといって、言葉自体の美しさは消えない。
というか、その心の美しさ、恋の喜び、輝き、誰かを大切に思う気持ち、情熱の美しさはやはり読んでいて感動するところがある。
これを英語に訳した人も「あなた」を「thee」にして拡張高く詩的に仕上げてる感じがある
Translator: Isabel F. Hapgood
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Isabel_Florence_Hapgood
探している生き別れの母よりもフィーバスの方が大事と言い切ってしまうエスメラルダ。
立場もあるから結婚できないのはわかってる。
愛人でいいから、愛人にしてと言う。
男性をその気にさせる恋の駆け引きが上手な女子なら、あれこれ気のないふりを混ぜた小細工を弄して、あの手この手で好きにさせようとするのだろうが、そんな手練手管など何も知らない。
ぜんぜん卑下してる感じがない。
むしろ尊い。
JKの頃のそういうまっすぐな恋心の記憶は、どんな女子の心の中にも残っているはず。(たぶん)
こちらはくそだと知っているから悲しくなるが、初恋は純粋だ。
しかも無邪気で人の悪意を知らない優しい子にとっては、恋とはそれ自体が一途なもの。
この告白の中で、地下世界の悪の巣窟で生まれ育った彼女がいつかこの中から自分を助け出してくれる王子様を夢見ていたと語る箇所がある。
ぴったりフィーバスが王子様像に重なってしまった。
さらに(口先だけだが)愛してると言ってくれる。
ここまで書いてきてふっと気が付いた。
彼女を守る力である、そのアミュレットの警告は「親の愛」そのものだ。
あの母親は遠くから常に祈ってる。
さらわれた娘の身を案じている。
それを彼女は、親よりもフィーバスと言い切ってしまった。
ここからエスメラルダの破滅が始まる。
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