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あってるかどうかもわからない今川義元の話


下の子「お母さん今川義元の話をしてよ」
わたし「今川義元かよ」
下の子「地味な人なの」
わたし「いやそんなことはないすごい人だよ。でもうまく話せるかな。どうして今川義元なの?」
下の子「よく名前を聞くけど結局何をした人かわかんないなと思って。信長に負けましたってとこだけいつも聞いてるから」
わたし「うーん、すっごい派手なドラマはないんだよね。浅井長政のお市みたいな……(ペラペラ)」

ちなみに画像にいただいたカマキリの兜は今川義元とは関係ございません。
「今川義元」で検索したけど画像登録されてる方いらっしゃいませんでした。
デザイナーのみなさん、もっとたくさん戦国武将描いて下さいよ~。
きっと需要ありますよ!

この人ね、三男だったんだよ。
上にお兄ちゃんが二人いてね。
本人はお寺に入って坊主になってた。本当なら大名のあとつぎなんてなれない立場だったの。
だけどその上の二人が、なぜか同じ日に亡くなった!

よくわかってない。何かが起きた。ミステリーなの。
ここ最大の今川義元おもしろポイントのはず。
まあとりあえず、三男だった義元はそれで坊さんやめて戻ってきて後を継いだんだけど、もちろん反対する勢力もいた。
でもこの義元、お母さんがしっかりした人だったんだよね。
寿桂尼っていって、その人が義元の味方をして後押ししてくれたので、後を継ぐことができた。
(花倉の乱ざっくり終了)

今川って、周りに武田がいて北条がいて、三すくみになってたのが幸いしたね。
小競り合いはたくさんあったけど、あっちに行けばこっちが来るから、国を滅ぼすような大戦争はやりにくい。
(個人の感想)

それから雪斎和尚っていって、すごく頭のいい軍師がいた。
この人も坊さんだけど、戦にも出て行くし鎧もつけるっていう武闘派。
昔の坊さんはよく戦ってた。
この人がすごい人で後ろからしっかり支えて、今川はすごく栄えて安定していた。立派な法律も定めた。

雪斎禅師は日本で初めて活版印刷技術を使って本を作った人って言われてるんだよ。
(ききかじりで真偽不明)

下の子「活版印刷ってなに?」
わたし「活版印刷っていうのは文字を彫りつけた木を使って、版画みたいにして本を作る。歴史の本だったらしいよ。これをすると、書きうつさなくても同じ本が大量に作れる」

というわけでこの技術は駿河の文化レベルを押し上げた。
こうゆう、高い文化レベルの環境で竹千代は育ったってことだ。
安定した治世を行う手法や政治センスなど、家康を天下人にふさわしいバランスの取れたたぬき……人物に育てあげたことは間違いない。

つまり今川義元のあとを精神的に継いだのは家康だったんだな。
とお母さんは勝手に思っているよ。

思ってもみない所で、信長にさっくり殺られてしまったけど、しっかりと今川領内を治めて武田・北条とも渡り合っていた、とても偉大な武将だったよ。

歴史ガチ勢のお父さん「ちがう違うちがぁーーーう!ぜんぜんちがう!だからこれはああでこれはこうでだからうんたらかんたら!!!!」

子どもなんだからわかりやすくざっくり話してやればいいんだよ…。



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